もともと不仲な父だし、良い思い出なんかは殆ど無く、有ったのかもしれないけれども酒を飲む醜態に上書きされてしまい思い出せない。
当初、癌が見つかった時にも、病院の説明に納得いかずに私と妻でセカンドオピニオンを勧め、転院先で誤診が発覚。
母も弟も、面倒を見たくないというので、術後の転院先の病院も、将来末期に来た時にお世話になる病院も複数ケ所妻と捜し歩いて手配をして滋賀に移住しました。
父親への愛情とかそういう想いは本当に無い。
大学も奨学金を借りて卒業したし。
しかし、それでも育ててもらった恩はある。
長男としての義務もある。
だから、家や畑も含めて、父親が可愛がっている弟にやるつもりで就職したら家を出た。
今回、神奈川に来たのも、母や弟では葬儀や墓地のことなどは決めることもできず、亡くなった後に出入りの業者に言われるがままにハイハイとお金を出して、その癖、あとから後悔することが目に見ていたので、長男としての義務を果たすためのつもりでした。
癌は多発性ガンで、最初は切除したりしていたのですが、その後の生活が破綻して、母は別居をしてしまった。
何度もあいだに入って、父母弟の仲を取り持とうと、妻と努力をしたのですが、3人3様の身勝手さに呆れ、もう父親と顔を合わせることも無いと思っていました。
しかし、たまたま通りがかったのが運のつき。
父の病室には、保険証やほとんどお金の入っていないらしい財布を入れた小さな手持ちバックと、電動髭剃りと、ティッシュ箱3個と、1袋のおかし。
入院のきっかけとなった路上で転倒したときに履いていた靴だけだった。
着替えもないらしい。
先日は、夜に勝手にトイレに行って、そこで転倒をして軽くけがをした事に対して、母も弟も怒っていたが、箸を持つ力もほとんどない父が、運動靴を履くのは困難だったろう。
きちんと靴を履かずに歩いて行っての転倒だったんじゃないかと、簡単に予測ができる。
それに、自力でトイレに行くというのは、残された「生」への執念なのではないかと私は思っていた。
仮に、その執念があったとしても、病室でベッドに転がされていた父は、看護の都合ということでオシメを履かされていた。
夜は、勝手にトイレに行けないように拘束され、オシメにするように指示されているそうだ。
病気になる前、酒に溺れて、母に悪態をつくのが当たり前になっていた父親を襲撃し、その際に打ち所が悪くて病院送りにしてしまったことがある。
「晩節を汚して欲しくない」
「もっと良い酒を少量だけ飲むようなことはできないのか」
「趣味を持ってくれ」
そんなことを言いながら、泥酔していた父を打ち付けた記憶が残っている。
救急車で運ばれた先で、「親子げんかとはいえ救急車で搬送されることになっているので刑事事件にすることも可能です」と医師は言いました。
同時に、「しかし、血中アルコール量が晩酌とは思えないほどの高濃度なので、警察に相手にされないかもしれません」という話をして、そのあと「警察を呼びますか」と父に聞いたとき、酔いから醒めた父はグニャグニャと手を振って、身体を揺らして断った。
不仲な親子だけれども、ほんの少し、親子としての糸は繋がっていたのだと感じた。
母も弟も浴びるように酒を飲んでいたのが原因と認めないが、趣味が持てなかったのは家族のせいでもある。
持たせたお金は全て酒になってしまうという母の理屈は確かに正しい。
父はそれだけのことをしてきている。
私に殴られたあと、弟は釣りに少し興味を示した父を釣具屋に連れていき、好きな釣竿を買ってやるといい、その時買わなかった父が悪い、自分はやることはやったという。
釣りをしたこともない父親を連れていって「買え」と言っても、買えるだろうかと思う。
私物の殆どない父親の病室を見て、私が家を出た後の実家は、どうしてこんなに狂ってしまったのだろうと、寂しくなって佇んでしまった。
同時に、不仲な父親とはいえ、親が死を迎えるときに、小さなカバンと電動髭剃りと菓子袋と靴だけで良いのだろうかと思うと、腹が立ってきた。
父は、晩節を彩ることに失敗してしまったのだろう。
それでも、今からでも少しはできることがあるのではないかと。
病院から出された食事をヨロヨロと箸で少量つまみ、口に入れる。
箸で口に運びきれないときには、手で落ちそうになった食事を掌に乗せて食べる。
胃が無くなっていることもあるけれども、「1回であんまりいっぱい食べれないんだよ」と子供のように言う父は、ミイラのようではあるけれども剣が取れてしまっていた。
食事の前は、声に力が無かったけれども、少量だけでも食事をしたら声も理解できるほどに大きくハッキリしてきたのを見て、これはカロリーが足りないのだと気がついた。
「何か欲しいものは無いか」と尋ねても、最初は無い無いと言っていたけれども、スリッパが欲しいか?ゼリー飲料なら飲めるか?お菓子はあった方が良いか?飲み物が欲しいか?などと妻と私が話の合い間で聞いていくと、やっぱり欲しいらしい。
顔を見て帰るだけだったのに、結局は明日も来ることにしてしまった。