栗もち、鳴門金時のおはぎ、栗水無月の3種類。出町ふたばの和菓子は、いくらでも食えてしまうので危険です。2人で3個をペロリ。
栗水無月は、水無月に栗が乗っているだけですね。まあ、その水無月が美味いのですが。
ヒットだったのが、鳴門金時のおはぎ。正直、一押しです。甘みと塩みが丁度良いのと、中のご飯の炊き具合も良かったです。
最後は、メインの栗もち。今回はこれを買いに行きました。栗は素朴に蒸しただけですが、それが良い味になっています。
この秋にはもう一度は買いに行きたいです。
晴明神社の御朱印は、書いて頂けるわけではなく版になります。すべて版というのは初めてですが、それにはいわれがあるようです。御朱印を頂くと、版や墨が乾いていないこともあるので、あいだに紙を挟んでくださいます。晴明神社の紙には以下のように書かれていました。「当神社の朱印に施された「晴明社」の字は土御門晴雄(つちみかどはれたけ)卿が、安政元年(1854年)に揮毫され、神社に奉納されたものを版に起こしたものです。晴雄卿は、当神社御祭神、安倍晴明公から数えて34代目にあたる御後胤で、当時の陰陽頭(陰陽寮長官)でした。また、安倍家は 室町時代に天皇から姓を賜り、以後土御門家となりました。」いろいろな想いがこめられているものです。
ちょっと来ない間に、一条戻橋の周辺に手が加えられていました。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移したものなのだそうです。横の式神の影がちょっと薄くなりました。ここは、千利休が住んでいて、晴明井の水を使ってお茶を入れていたそうです。聚楽第の一角として与えられたようですが、その間の晴明神社はどうなっていたのか気になってきました。ちょっと古い地図を探してみようと思います。
今日は、仕事の前に晴明神社に来ました。最近、通りがかりにご挨拶をすることは多いのですが、境内に立ち寄ることが少ないので、きっちりとお参りをしたかったのです。五芒星は桔梗紋の一種になっているので、境内には紫と白の桔梗が植わっています。桔梗のシーズンは過ぎていますが、まだ少し咲いていました。
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