町民の内部被ばく なぜ検査しない 浪江 診療所医師の義憤
(2011年10月5日) 【北陸中日新聞】【朝刊】【その他】
政府は、福島第1原発の20〜30キロ圏内に設定した緊急時避難準備区域を9月末で解除した。東京電力の補償枠づくりを前に、一気に事故“収束”の歩調を速めたかに見える。だが、住民の被ばくの実態把握にどれほど積極的かといえば疑問符が付く。事故の直後、福島県浪江町で、政府の情報隠蔽(いんぺい)のために約7000人の住民が大量の放射線を浴びた。この「津島の4日間」を目の当たりにした医師が憤りをぶつける。「いまだに町民の内部被ばく検査を実施しないのはなぜだ!」−。 (出田阿生、上田千秋)
「補償避ける時間稼ぎなのか」
「浪江町国民健康保険津島診療所」は、福島県二本松市油井の仮設住宅の片隅にあった。4日、診療所にはお年寄りを中心にひっきりなしに患者が訪れていた。こぢんまりとしたプレハブの建物。「あちこち移転して、ようやく落ち着いた」と常駐する医師の関根俊二さん(69)は話し始めた。
常駐の医師が2人、看護師が4人。浪江町内の開業医5人も非常勤で診療を担当している。原発事故から約7カ月。3月15日から、町役場とともに二本松市内の避難先を転々とし、体育館や旅館で診療を続けてきた。
放射線を取り扱う医療従事者は必ず線量バッジをつける。「私の、3月の1カ月間に浴びた積算線量が0.8ミリシーベルト。4月から8月まではゼロ。3月の数値は、あの4日間で浴びたのだと思う」。関根さんは自分自身の線量数値を見ながら話す。
震災翌日の3月12日、町民約2万1000人のうち約7000人が、診療所のある山間の津島地区に押し寄せた。「原発からなるべく遠く離れよう」と町の中心部から逃げてきたのだ。15日に二本松市内に避難するまで、7000人の人たちは4日間、同地区にとどまった。
ところが実際は、国の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータからも明らかなように町中心部より、山側の津島地区の方が放射線量が高かった。今でも浪江町の山間の空間放射線量は、隣接する飯舘村などよりはるかに高い。
それを知りながら国や東電は、「町民に警告もせず被ばくさせた」と関根さんは憤る。原発が立地する大熊町や双葉町は、東電が震災直後、町民を避難させるためのバスをチャーターした。浪江町にはこうした措置が一切なかったばかりか、東電から町に連絡が来たのは震災4日後。命綱は、衛星携帯電話1台と、テレビの情報だけ。町は自力でバスを借り、手探りで避難先を探し続けた。
関根さんは馬場有町長らとともに5月ごろから、内部被ばく線量をある程度計測できる「ホールボディーカウンター」(WBC)を導入して町民の検査をしてほしいと国に訴えてきた。特に高線量の津島地区にいた7000人を早く調べてほしいと要請したが、いまだに返事はない。
たまたま津島地区に避難し、その後、WBCの検査を受けた関根さんの患者がいた。8月10日の検査時点でセシウムが630〜710ベクレル検出されていた。「ヨウ素は半減期が短いので検出されなかったが、これだけのセシウムが出た。他の住民も同じはず」と関根さんは考える。
今夏、福島県民を対象とした本格的な健康調査が始まり、個人の調査票が配られた。震災後の行動を記録する項目もある。やろうと思えば、データを把握している行政が主導して検査を実施できるはずだ。関根さんは「これほど検査をしないのは、国や東電が高額の補償や賠償を避けようと、故意に検査を遅らせているとしか思えない」といぶかる。