源義経が、追っ手から逃れるときにここに鎧をかけたといわれているそうです。ただ、小さな松なので植え替えられたものなのでしょう。ちょっと残念。
お腹の「福」は福を呼び、背中の「黄金袋」は財を呼び、手に持つ「ひょうたん」は所願成就だそうです。ともかく撫でましょう!
極楽門から入ってすぐにあるお堂です。なにやら賑わっています。
西大門とも言うようです。西方浄土に旅立つための門なのでしょう。それゆえの極楽門であり、引導石なのだと思います。
このような石が4つあると書きましたが、ここが2つ目。残念ながら、あと2つは力尽きました。
ここは、お寺なのに鳥居があります。「神仏習合」といって、神社とお寺がごっちゃになっちゃった時代があるわけです。そして、ここの鳥居の額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、ものすごくザックリ言うと、ここが極楽の入り口という意味です。
昔は境内の一部だったのでしょう。天王寺高等学校になっています。石川佳純はここの卒業生なのだそうです。
西大門には転法輪というものがありました。全部で4つ。
手前にはマニ車。左の方には錫杖があり、弘法大師様と紐でつながれています。錫杖はすごく頑丈に固定されていましたが、盗まれたりするのでしょうか?
紙衣仏をお祀りしているため紙衣堂ともいいうそうです。仏様をちゃんと見れなかったのが残念です。
身体の悪いところを、この木槌で臼を叩き、痛いところを叩きます。かなり効果があるかもしれません。一時的にですが、腰の痛みがかなり楽になりました。
こちらには、秘仏の49歳の聖徳太子様がいらっしゃいます。空いていたので入ってしまいましたが、信徒の方だけのようでした。
この中には、2歳の聖徳太子様と16歳の聖徳太子様の像がいらっしゃいます。奥の方に2歳の太子像を見ることができました。
聖霊院の中に入るための虎の門です。欄間のところに虎がいます。四天王寺のほとんどがコンクリート作りですが、この一角は木造です。
なにか聖徳太子と縁がありそうなのですが…。呼び水が無いので、井戸の中に水はあるのですが、押しても汲めませんでした。
六時堂で爆撃を食らってしまい、着替えに車に戻りました。(汗)小さく、案内図にも名前の無い門。しかし、門には三つ葉葵が付いていたりと立派です。聞いてみたところ、お寺の人たちは唐門と呼んでいるそうです。
六時堂・石舞台とも重文です。建立は元和9年ですから、大阪の陣からまもなくということになります。また、この石舞台は、日本三舞台の1つに数えられています。残り2つは住吉大社と厳島神社です。
盂蘭盆会の真っ最中のためにアウェイ感たっぷり。人が多すぎて、信徒でもない私たちが何が出来て何ができないかもわかりません…。
この回廊が見たかったものの一つです。こちらも近代に復興したものですが、なんとなくイメージが湧きます。
講堂の中には、最近作られたと思われる阿弥陀如来坐像と十一面観音立像が安置されています。光背が2枚になっていて、なんともハデハデなのは、なんとなく大阪チック。でも、デザイン的に見てもかなり好きな感じです。
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