またも丹沢山麓に戻ってきた。
今日は、胃を切除した患者とその家族を集めての栄養指導。
母一人では心もとないということで、同行することにしていたのです。
しっかりもので、すぐにリーダーとして担ぎ上げられていた母も、いまや見る影もありません。
ちょっと前までは、それでも私たち子供の前では毅然としようとしていたところもあったのですが、一度崩れてしまうとガタガタです。
説明を受けても、思い込みによる曲解などで、もうまともには交渉も出来ない状況ですね…。
今日も、行く約束をしていたのですが、出発の直前に電話。
相談したいことがあるというので、何かと思えば父の退院が今週の金曜日と告げられたというのです。
それだけでパニックを起こしています。
私も妻も、それでなんでパニックになるのか理解できない。
現在の病院を退院したら、少し療養治療をしよう実家の3人は望んでおり、私と妻で年末にお膳立てを整えて、最後のフィニッシュは同居する家族に任せるしかないので母と弟にバトンタッチをしたのですが、結局はグズグズしていて話がほとんど進んでいなかったのが原因のようです。
結局は、実家の3人は誰も動きたくないらしい。
しかし、放っておいてもタイムリミットは近づいてくるわけで、それが現実になってパニックになっているようだ…。
結局は、今日で引き上げるつもりだったのに関東滞在を伸ばして私と妻で病院と交渉することになった。
なんか、虚しい。
病院にいったら父は寝ていたので、母を置いて医療支援相談室へ。
「もっと入院していたい」「もっと入院してもらいたい」「面倒見たくない」という家族の身勝手な思いを美しくデコレーションして転院をお願いするのだから、これほどバカバカしいことはない。
結局は、医療支援相談室を通すと時間が掛かることと、急ぐなら老人ホームに放り込まれること。
自分たちで病院を引っ張ってくることが早いということを確認しただけだった。
とりあえず、転院先の病院と交渉中という話しをして、OKがでれば無理矢理にでも紹介状を作ってもらうことで話しをまとめたけれども、なんとも虚しい。
終わったら、栄養指導。
胃を切除した場合、問題となるのはダンピング症候群というもので、これは「前期ダンピング症候群」という食後30分以内に起こるものと、1時間半から3時間くらいに起こる「後期ダンピング症候群」があるのは予習済み。
それを防ぐための食べ方や料理のイメージを父母に理解してもらいたいと思っていたのだけれども、資料も貧弱だし、栄養士さんの説明もお上手とはいえず、ちょっとガッカリ。
これが、日本に数えるほどしかない癌研究の拠点の1つなのかと思うと、今までのグデグデの対応も理解できるというものです。
私や妻のような粘着質が、術前からイメージを植え付けていてもこの体たらくなのですから、私たちがいなかったら胃を切った後に「こんなはずじゃなかった」と言っていたんだろうなぁと思います。
指導の途中で、父が書類を提出していないことが発覚。
マジでもうヤダ。
栄養士さんから、ここから先は提出していないので関係ない、という主旨のことを言われて愕然としました。
この書類も、同居しているものしか分からないから、手伝ってやって置くようにと母と弟に言っておいたのに呆れます。
結局は栄養士に謝って、書類を再提出することで決着。
栄養指導を拒否するということは、自分の命を投げ捨てることだと分からない親父の馬鹿っぷりに悲しくさえなります。
なんのために、琵琶湖畔と丹沢山麓を2週間ずつ往復しているのか。
自分たちの就職を投げ打ってまでしてやっているのか。
明日、急遽転院をお願いしたい病院に行くことになったので、車の修理の予定が狂ってしまって、強引に今日の営業中に運ぶことに。
母は妻に送らせ、電車を使って最寄り駅へ。
駅から自宅までは強烈な登りのある1km強。
時間がギリギリなので駅からダッシュをするものの、やがて朦朧とする意識の中で、つくづくと自分は何をやっているのだろうかと虚しくなりました。
今回もグチ。
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