西南戦争中、九州の要として鎮西鎮台が置かれた熊本城は、西郷軍と戦う運命にあったわけですが、なぜか総攻撃の3日前に出火し、大小天守閣や本丸御殿や数々の櫓が焼け落ちてしまったわけです。
その出火場所と言われているのが、闇り廊下の手前の石垣です。
今は石垣だけで想像し難いですが、早い話が本丸御殿を燃やそうとしたのでしょう。
出火原因は3つあり、1,単なる失火 2,西郷軍の間者 3,明治政府軍が奪われるのを恐れて燃やした などがあるそうです。
一つ気になったのは、なぜ石垣に堆積岩を縦方向に並べて使っているのか?
帰ったら調べてみましょう。