開始5分くらいで目眩がして力尽きそうでした。
近藤と対峙する龍馬の薩摩弁は寒すぎです。
第3部に入ってからの薩摩ドナドナとか、隠密とかは全く納得がいってないので、薩摩弁を話す龍馬に「だったら史実通り薩摩に…」とつくづく思いつつ、画面を消しそうになる衝動を抑えながら見ていました。
しかも、お龍にいいカッコをしたいためか、あまりにも龍馬無双。(苦笑)
おかげで、かなり安っぽくなってしまいましたね。
しかし、去年の捏造大河の「大阪の陣」レベルを覚悟していたので、思ったよりマシ。
黄金の日日レベルでした。(ルソン回は見ててこそばゆい)(笑)
頭を空っぽにして見れば、それなりに見られた回でした。
今回は、ほとんど渡辺いっけいに持っていかれましたね。
風呂場での「さかもとくぅ〜ん」といい、近藤との対決シーンといい、ガリレオコンビの面目躍如といったところでしょう。
この人も、不思議な破壊力を持った人ですねぇ。
渡辺いっけいの素の持ち味の「女に弱いときどきマジ」というキャラクターが、重太郎の「剣豪」と「妹想い」という設定に生かされていたと思います。
あと、前回コメディと予想してしまいましたが、原田泰造も予想以上の大健闘だったでしょう。
1次資料では無いと思うのですが、実際に近藤勇がお龍に簪(かんざし)などを送ったという話も残っているそうなので、お龍に思いを寄せる近藤という設定はアリだとは思います。
しかし、役者がどんなに奮闘しても無理に無理を重ねているのは隠しようもなく、龍馬と近藤とお龍の三角関係はあまり面白くない。
対決シーンも、ケリは龍馬と近藤のあいだにお龍が飛び込んで「ケンカをやめて~2人を止めて~」と歌って決着(笑)は、いつの時代だよ?って気分で、最後の最後にぶち壊しでした。
起きながらに刀を抜くシーンの素早い動きなどは、なかなかだったと思います。
いっけい絡みの場面では、個人的には龍馬と重太郎が風呂場で抱き合っているところを、恐る恐る覗いているお龍が好きでしたね。(笑)
寄り道弥太郎コーナーでは、弥太郎と猿の絡みも面白かったのですが、それよりも注目すべきは弥太郎の妻の喜勢。
再びの占いパワー炸裂は驚きです。
喜勢さんに、どこの占い師か教えて欲しいです。(笑)
しかし、どーでもいい場面は面白いですね。
脚本家さんも書いてて楽しかったんじゃないでしょうか。
で、本編の隠密です。
結局、なんなの????
史実では、第2次長州征伐の朝論を覆すために、大久保の要請を受けて長州をすっぽかして京都に向かったことになっているわけです。
これをそのままやることに、なんの不都合があるのだろう。
今作では朝廷シーンはあるので、朝廷シーンがネックになっていることはないだろうと思う。
だったら、大久保一蔵(利通)?
そんなものは、過去の大河でも長い間、高杉晋作はセリフや手紙の文字だけの登場でしたから、それで済むはずです。
まあ、いろいろ考えると、前に書いた新しい龍馬を描くためには、龍馬と薩摩の蜜月を描きたくないということなのでしょうかね。
なんか、脚本家の「どうだ!上手くまとめただろう!」って顔が目に浮かぶようですが、点数を付けるなら60点。
「手土産」とかいって、視聴者に分かりやすく説明したつもりなのかもしれないけれど、ここも普通に「盟約の印」でも理解できるんじゃないかと思います。
無理に「手土産」でまとめてしまいましたが、龍馬伝の描きたい「薩長同盟」は何?
「薩長同盟」は「利」なのか?「義」なのか?それとも「ダブルスタンダード」なのか?
西郷が何を重んじ、桂が何を重んじるかの人物像を描くことを怠けていたために、脚本家が思っているほどは上手くまとまっていないと思いますよ。
西郷はあっさりあきらめちゃってるし。
大政治家西郷の片鱗も感じられません。
まあ、素に戻っちゃうことが少なかったんで、前回よりは見られました。
話は飛びますが、昨日は書き物をいくつかしているときに、「草燃える」の第46~51回を見ていました。
この頃の大河は、例えば北条義時(松平健)などは、立場によって「義時」と呼ぶ人(朝廷)と
幼名の「小四郎」と呼ぶ人(御家人同士など)がいます。
今回、重太郎先生は近藤に対して「坂本くん…」と言ってしまっているけれど、ここを変名の「才谷梅太郎」と言ってくれたらどんなに評価できただろうか。
それが理解できないと思われるほど、今の視聴者は信用がないんですかね。
それが今回の「手土産」にも現れていると思うのですが、視聴者に伝えることと言葉を簡単なものに置き換えることは同じではないと思いますよ。
少なくとも、私の歴史への入口の一つが「草燃える」という大河ドラマでした。
「龍馬伝」は、今の子供たちの歴史への入口になるのでしょうか?
最近のコメント