ついに龍馬伝最終回になってしまいました。
自分が歳を重ねすぎてしまったのか、余計な知識を増やしすぎてしまったのか、単純に感動できなくなったような気がします。
結構、涙腺が弱くなってきている気がするのですが、最後までドラマに入り込めずに鑑賞止まりで終わってしまいました。
近江屋の場面で、例の龍馬の血潮が飛び散ったという掛け軸が掛かっていたりと、心にズキズキと刺さるものが多く、龍馬が死んだら涙腺崩壊するのではないかと思っていただけに、呆然としています。
「悪くはなかった」「悪くはなかった」と言い聞かせる自分がいます。
最初に苦情を書いておきましょうね。
●4部はミステリー
この設定はどこに行ったのでしょうか?
それとも、この発言自体が釣りだったのでしょうか?
暗殺者は「見廻り組」と公表されていましたが、さも黒幕がいるかのように、薩摩・長州とも必要以上に距離のある描かれ方がされ、長崎奉行・紀州藩・長崎商人・イギリス商人等々もブラックな風貌の面々を揃えておきながら、まさかの黒幕なし…。(土佐藩は途中から黒幕候補から外されたような気がする)
このような結末になるのなら、なぜ「嫌われ者の龍馬」という誰が得をするのかも分からない設定で描き続けたのか理解に苦しみます。
薩摩に関していえば、龍馬伝の世界の中では薩摩藩は武力倒幕派一本なので、大政奉還によって徳川を救った龍馬を恨む薩摩と龍馬との友情に板挟みの中岡慎太郎が動くことによって、新選組を引きつけ、そこから見廻り組を引きつけてしまったということになっていましたが、あえて薩摩藩を反龍馬として描くほどのことでもなかったのではないかと思います。
多くの人は、坂本龍馬という人物に対してスケール感や爽快感をイメージしていると思うのですが、黒幕設定によってのダークな印象が視聴率離れにも繋がっていってしまったように感じます。
福山雅治さんのイメージと龍馬のイメージも重なるところが多かったように感じるのに、龍馬伝の設定は多くの人がもっている龍馬のイメージにも、福山雅治のイメージにも離れていて、無理に無理を重ねさせたと気がして残念です。
●弥太郎の死
最終回は難しいと思うのです。
とくに最終回の終盤は難しいと思うのですが・・・あれは参ったなぁ。
弥太郎は、最後の最後に予想通りのツンデレぶりを見せてくれましたが、あれはあれで終わりじゃダメだったんでしょうか。
「あんな龍は・・・どこにもおらんぜよ」でいいじゃん。
面白かったけど。
さて、最初に戻ってアバンから見ていきましょう。
まさかの、武市半平太&土佐勤王党の剣舞からのスタート。
志なかばで死んでいった面々の中には、以蔵や亀弥太、そして商人姿の長次郎までいます。
饅頭で乾杯も嬉しかったです。
夢落ちで微妙に引きましたが、懐かしい面々を見ることができたのでスタッフの最終回への気合いを感じました。
寝転がって見ていたのに、身体を起こしてしまうほどです。
細かなことを言ってしまえばいろいろありますが、「新政府綱領八策」と「新官制擬定書」を最終話の狂言回しに使ってのストーリーは、余計なことも多々ありますが良かったと思います。
暗殺者今井信郎が刀の血を拭うのに「新官制擬定書」だったところで、公の龍馬のストーリーも途切れてしまったことを思い知らされました。
京都を走り回ったり、見廻り組と絡んだり、するのは相変わらず不用感たっぷり…。
しかし、龍馬と対決する弥太郎は「眩しすぎる日の光は無性に腹が立つ」というセリフと、龍馬が少年時代に詠んだ歌と言われている「世の人は何を我とも言わば言え 我がなす事は 我のみぞ知る」が、龍馬伝の世界の弥太郎と龍馬の関係を示していて、龍馬が示す弥太郎への最後の場面として見応えがありました。
余談ですが、海援隊の英語辞書のエピソードを入れたのを筆頭に、最終回の龍馬伝は龍馬伝らしからぬ史実に点在するエピソードを散りばめてくれて嬉しかったです。
さて、突如出てきた京都見廻り組。
すでに手垢の付きすぎてしまってグダグダになってしまった新選組が登場してきた回を思い出させる雰囲気の良さがありました。
個人的にはSIONがわずかなカットで入っているのが痺れます♪
ただ、元武田信玄公改め今井信郎となった市川亀治郎ですが、どうだろう。
見廻り組の中のポジションとして、後から参加してきた今井信郎が見廻り組の中心であるかのような描かれ方には違和感が残ります。
「我々を愚弄した」というセリフくらいは、佐々木只三郎役の中村達也に振って欲しかったです。
あくまで個人的な意見なんですが、私は今井信郎も渡辺篤も龍馬に直接手を出しているとは思えないんですね。
龍馬暗殺を見廻り組説とするとして(ほぼ定説)、実行犯と外を固める部隊と分かれているとしたら、今井・渡辺は外だったんではないかと想像しています。
見廻り組の中でもそこまでのポジションには居なかったと思うのです。
もうちょっと言ってしまうと、函館戦争後に捕らえられた今井信郎の供述は死に場所を求めてあえて罪を多くしようとしたのではないか、大正時代に供述した渡辺篤に至っては売名行為と感じます。
おそらく、龍馬暗殺の実行犯は、鳥羽伏見の戦いで亡くなった佐々木只三郎などの仕事だったのではないかと、個人的な意見ですが思っています。
話を戻します。
暗殺は、予想に反してあっさりとしてくれて良かったです。
またも「ごめんちやワールド」炸裂ではないかと怯えていたので、なかっただけでも安心。
また、予定通り「己の命を使い切る」という八平さんの言葉がしっかりと使われ、龍馬伝の残されたテーマも完結しました。
襲撃後の龍馬と慎太郎についても、龍馬伝は伝承通りにやらないという変な意地があるようなので、「石川(中岡の変名)」も無し、「脳をやられちょる」もなしでしたが、死が今よりも身近にたくさん転がっていたあの時代を思うと、自分の切られ方を考えると充分に己の死を悟れるでしょうし、死に直面したらあんなセリフもアリなのかもしれないと思いました。
若干長いとも思いますが、なんたって最終回ですからね。
私も寛容です。(笑)
最後は、弥太郎の慟哭から桂浜に立つお龍に切り替わるのも悪くなかったと思います。
というか、政治も描かず、主要人物も最低限も描いていない龍馬伝では、近江屋に駆け付ける谷干城などが突然出てこられても困るだけですし、龍馬の遺体問題もあるので多く触れないのが良いのでしょう。(紀行ではミスリードを誘っていましたが。というか、最近の紀行はウソをつきすぎです)
亡霊龍馬の「う~み」も、思ったよりもあざとく感じませんでした。
それに、権平さんと乙女ねえやんに「う~み」と言って去っていくお龍を見て、最後の最後に真木よう子がはまったなぁと感じました。
あれで「完」にして欲しかったですね。
突然始めてしまった「龍馬伝」の感想ですが、とりあえずこれにて終了です。
龍馬伝の役者さん、スタッフさん、ご苦労様でした。
とくに、龍馬伝は美術スタッフの頑張りは半端無かったと思います。
美しい画像も多かったです。
ありがとうございました。
私ごときがこんなところで遠吠えをしていても、全くNHKには届かないと思います。
しかし、
1.歴史に興味のない脚本家の使用はいい加減にして欲しい。
2.史実と史実のあいだを埋めるのと、史実を捏造するのは違う。大河ドラマの影響の大きさから逃げないで欲しい。
3.なんでも主人公の手柄にするのもやめて欲しい。成功と失敗、勝利と敗北を描くことによって、初めて人物が描けるのではないでしょうか。
4.原作アリでやりましょうよ。今のNHKでは、原作無しで筋の通った作品を作る実力は無いように感じますし、安易に流れるだけ。
5.再来年からで良いので大人の時間を返して欲しい。
と思います。
来年の大河の予告が始まりました。
しばらくは頑張らないといけなそうだなぁ。