「りょーまの休日」なんていう「ローマの休日」のパロディみたいなタイトルなので、何をしでかすのかと思ったのですが、思ったよりは普通でした。
ただ、
大河に農民禁止!(苦笑)
少なくとも、わたしはリアリティを全く感じません。
長州の恩人ならば、奇兵隊という名前の農民たちの前に、長州藩が歓迎するんじゃないの?
農民に慕われる=いい人
ってのは飽き飽き。
シラけんだよ!
何回か見返しながら、つくづくと考えました。
何がつまんないんだろう…
あくまで私の感想なんですが、福山&真木が龍馬&お龍の夫婦に見えないんですね。
単体で見れば、福山龍馬も真木お龍もそれっぽく見えるのに、2人で夫婦と言われると重ねてきたものが感じられないのです。
ハッキリ言っちゃえば、福山という役者と真木という役者が夫婦ごっこをしているように見えてしょうがないんですね。
これは、恋人の加尾にしても、結局意味不明だったお元にしても同じなのですが、暗く、重たく、佐奈との太鼓の場面のような明るく心が通じ合うようなのが無かったせいか、福山龍馬がそのシチュエーションを受け止めきれなかったような気がします。
今回の「風呂に入ろう」みたいな場面がもう少しあったら良かったと思うのですが…。
龍馬の朝帰りとお龍の激怒は、史実にあるんですね。
鉄砲を突きつけたりはされてませんけど。(笑)
・・・茶碗は投げられてます。
なんでこんなところは拾っちゃっているんでしょうね・・・。
肝心の政治の部分はスルーしまくりなのに。
ちなみに、本物の龍馬さんは年齢の割には禿げ上がっちゃってますが、一説によると「梅毒」を患っていたらしいです。
まあ、お盛んだったと。
お龍はお龍で、このときにはすでに心の病を患っていたとも言われていて、長州に別居することになった原因は、この龍馬の浮気とお龍の心の病という説がよく言われています。
それどころか、すでにこの頃は冷え切っていたという説もあります。
いかんせん、龍馬は飛び回っていますから、貰った手紙はほとんど保存していない。
困ったことに、お龍も手紙は保存していなかったので、ここらへんの夫婦間の消息はボンヤリとしちゃってるんです。
そういう点を踏まえると、テレビ的に美味しい最終回を目指すためには、ここいらでお龍とのエピソードをしっかりしておかないと最終回に繋がっていかないので、「想望」弾を炸裂させて最終回に雪崩れ込もうというのでしょう。
それだとしても、百姓が邪魔!子供が邪魔!
夫婦のエピソードにいい人を盛り込もうとするからボンヤリしちゃう。
もう一つ思ったのが、龍馬伝の中の人物造形は演出家にかなり委ねられている割に、演出家間の意志統一が弱かったんじゃないでしょうか?
話は逸れますが、例えば第4部に入ってからの弥太郎は理解しがたい。
今の憎悪丸出しの弥太郎を見ていると「龍馬の大芝居」の回はいったい何だったのかと思ってしまいます。
この人格のブレについては、龍馬しかり、半平太しかり、木戸しかり、お龍しかりです。
この統一感のなさが、どうも今ひとつ入り込めない原因なんじゃないかと。
だって、先週のイカロス号事件の龍馬と今週の龍馬が同一人物とは思えないもん。
お龍なんか、ここ4回は鉄砲撃ってて、今回は「う~み」とか、手紙に独り言とか、全く進歩してない。(ついでにポストマン三吉慎蔵も)
こういう段階を踏んで、こう成長させるという演出家間での意志統一がなかったから、同じことの繰り返しになってしまうんじゃないでしょうか?
史実のお龍は、龍馬の仕事は全く理解していなかったそうです。
これは、大村益次郎の奥さんも全く理解していなかったそうですから、そういう時代だったと解釈した方が良いのかもしれません。(その役割が坂本家に割り当てられてしまいましたが)
龍馬伝のお龍は、そこまで酷くは描かれていません。
お龍の前で、逆鉾シャキーンの誓いとかも見せてますし。(笑)
龍馬の仕事に無頓着だったと思われる史実のお龍なら、人との付き合いを優先する龍馬に対して鉄砲を突きつけたりひっぱたいたりするお龍も理解できる。
しかし、龍馬伝のお龍は龍馬の仕事を知っているわけですから、ヘタに史実を引っ張ってきても、お龍がどんな気持ちで怒ったのかが伝わらないし、ますます一貫性が感じられなくなるばかり。
「想望」無双で押し切ろうとしたみたいですが、「想望」もそろそろ賞味期限ギミですかね。
美術スタッフは凝っていると思いますよ。
だんだんと濃くなっていく三吉さんのヒゲ(笑)とか、部屋に重なることなく敷き詰められた紅葉の葉とか。
海辺のシーンもシットリしてて、久しぶりに良かったんですけどね。
ただ、残り4回でやることなのかなぁ~。
もう眠くなってきたのでここまで。