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Accident de Fukushima-Dai-Ichi Bulletin d’information n° 6 du 8 juin 2011
在日フランス人向けの広報です。
チェルノブイリのときに、日本から見てソ連が狂ったように見えたように、世界から見れば今の日本が狂っているように見えるのでしょう。
少なくとも、私には政府の対応が正気には見えませんが、政府の発表や政策が正しいと信じている人もいるのですから仕方ありません。
翻訳は、こちらの方がしてくださいました。
フランスねこのNews Watching
ただし、フランス広報には地図が載っていて、「牛乳」「ほうれん草」等の危険な地域が政府発表よりも分かりやすいので参考になると思います。
「フランスねこのNews Watching」さん、ありがとうございます。
以下、転載。
1. 現状
住民への大きな影響は見られないと思われるものの、福島第一原発から排出されていると思われる放射性物質が引き続き空気中で観測されている。現在、短期的な被曝の危険性は、大気中に排出された放射性降下物、および海に排出された放射性物質に汚染された食品によるものが主となる。こうした汚染の影響を最も受けやすいのが茶葉を含む葉野菜であり、野菜を原料とした全ての食品、もしくは汚染された草や飼料を餌とする動物の乳である。これらの食品については汚染の度合いが低くなって来てはいるが、引き続き監視が必要である。海産物についても、海藻や海中生物が放射性物質に汚染にされている。
2. 一般のフランス人への勧告
食品への放射能汚染は低下してきているが、福島第一原発における事故によって発生した放射性降下物の被害を強く受けた県においては、引き続き厳重な注意が必要である。IRSNは下記を勧告する。
・ 生産地や放射線濃度が分からない生鮮食品(特に葉野菜、キノコ類、魚類)については長期間の摂取を控える。福島原発事故の後で生産された茶葉についても同様。
・ 同様に、福島、栃木、茨城、宮城、群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉の各県で穫れたタケノコやクサソテツを摂取しないこと。
・ 福島、宮城の両県で生産された生乳や、生産地・放射線濃度が分からない生乳を長期間子どもに与えないこと。
3. 放射性降下物の影響が最も高い地域(福島周辺地域)に渡航する可能性のある者、および現地に居住する者への勧告
• IRSNは、宮城、茨城、栃木、そして特に福島県が福島原発事故による放射性降下物の深刻な被害を被ったと考えている。宮城、茨城、栃木の3県については、業務上の渡航および重要な所用がある場合には、下記の注意事項を全て遵守することを条件に渡航できることとする。しかし不要に放射能による被曝を受けることを避けるため、趣味や旅行などの重要な所用以外での渡航は控えること。
• 福島県の北半分の地域、特に福島原発から40キロ以内の圏内にある県の北東部4分の1に相当する地域については、引き続き渡航しないよう、強く勧告する。これは、一平方メートル当たり60万ベクレル以上にものぼる放射性セシウム等の深刻な放射性降下物による汚染が見られることによる。これらは年10ミリシーベルトを越える外部被曝の原因となる。火急の所用でこの地域に渡航する場合には、厳密に必要最小限の滞在時間に限ることとし、下記の勧告を厳守するとともに、渡航者を大人に限ることとする(子どもの渡航を認めない)。
• 日本政府が立ち入りを禁止している福島原発から半径20キロメートルの地域、及び葛尾村、浪江町、飯舘村、川俣町、南相馬市等に立ち入らないこと。
4. 宮城、茨城、栃木、福島の4県に居住するフランス人への勧告事項
・ 乳児および幼い子どもの食事にはボトル入りミネラル・ウォーターを使用すること。
・ 自宅の家庭菜園から収穫した野菜や、家庭で飼っている家畜動物を食用に用いるのを最大限に控える。
・ 野菜や果物を食べる前に注意してよく洗うこと。
外部から建物の内部に汚染物質を持ち込まないよう、家庭での衛生状態を良好に保つようつとめること。特に、下記に注意する。
・ 雨の日は靴を家の中に持ち込まない。
・ 濡れた雑巾で床を定期的に拭く。
・ 家具、カーペット、敷物の表面に定期的に掃除機をかける。掃除機の中袋を定期的に交換する。
・ 無意識に手が口に触れて汚染が起きないよう、ポンプ式容器に入った液体石けんで手を定期的に洗う。
・ 幼い子どもが遊んでいて戸外の土や砂を口にいれないよう、常に見張っていること。
「地下に非常電源」米設計裏目に ハリケーン対策だった
2011年6月11日15時0分
東京電力福島第一原発が40年前、竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く「米国式設計」をそのまま採用したため、事故の被害が大きくなったことが関係者の証言でわかった。原発は10メートル以上の津波に襲われて水につかり、あっけなく全電源を失った。
風速100メートルに達する暴風が原発に襲いかかる。周辺の大木が根こそぎ吹き飛ばされ、ミサイルのように建屋の壁を突き破り、非常用電源を破壊する――。1960年代初頭、米国ではこんな悪夢のシナリオを想定して原発の災害対策が練られた。非常用発電機は原子炉建屋ほど壁が厚くない隣のタービン建屋に置かれた。「木のミサイル」から守るためにより安全なのは地下だった、と東電関係者は解説する。米国ではハリケーンに男女の名前を交互に付ける。津波よりも身近な災害だ。
東電初の原発だった福島第一の1号機は、ゼネラル・エレクトリック(GE)など米国企業が工事を仕切った。「東電は運転開始のキーをひねるだけ」という「フル・ターン・キー」と呼ばれる契約で、技術的課題は丸投げだったという。
東芝や日立など国産メーカーの役割が増した2号機以降の設計も、ほぼ1号機を踏襲。津波など日米の自然災害の違いをふまえて見直す余裕はなかった。旧通産省の元幹部は「米側の仕様書通りに造らないと安全を保証しないと言われ、言われるままに造った」と振り返る。
これのどこに「安全神話」なんてあったんでしょうねぇ。
つまりは、その国の事情なんて考慮することなく、そのまま持ってきただけだと…。
2号機以下は日本のメーカー製なのにもかかわらず、バカみたいに真似して作ったと…。
にもかかわらず、いまだに「原発の安全性を信じて…」なんて言っている町長は、この記事を見てなんと思うのでしょう。
「政府に安全性を保証して欲しい」と言っている人たちはどう思うんでしょう。
原子力発電なんてものは、茶番に茶番を重ねたものということが良く分かりました。
行方不明者 依然8000人超
6月11日 4時31分
東日本大震災から3か月になりますが、行方不明者は依然として、およそ8000人に上っています。津波で遠くまで流された人が多いとみられ、捜索は難航しています。
警察庁によりますと、東日本大震災で警察に家族などから届け出があった行方不明者は宮城、岩手、福島などで合わせて8095人に上っています。3つの県では、全国からの応援部隊を含めて2000人以上の警察官が捜索を続けていますが、住宅のがれきの下などでの捜索はほぼ終わり、発見される遺体は少なくなってきているということです。行方不明者の多くは津波で流されたとみられますが、海上保安庁や海上自衛隊がこれまでの捜索活動で収容した遺体は合わせて660人にとどまっています。一方、遺体が見つかった場合も損傷が激しかったり、所持品などの手がかりが少なかったりするため、身元の確認作業が難しくなっています。これまでに死亡が確認された1万5405人のうち、およそ2000人については今も身元が分かっていません。警察は遺体のDNAを採取し、行方不明者の家族から提供を受けたDNAと照合することで身元の確認につなげようとしていますが、本人のDNAでないうえ、遺体の数が多いため、時間がかかっているということです。警察では、全国の施設を使って24時間態勢でDNA鑑定を急いでいます。
震災から3ヶ月をむかえ、行方不明者は死者にカウントが移行するそうです。
親類の被害は思ったよりも少なく、土葬されることもなく、葬儀も行えたことは良かったとは思います。
しかし、素直に喜べない自分がいる。
マスコミが伝えようとしない被災地の話を知れば知るほど、政府に腹立ちを覚えてしまう。
ともかく、現場のみなさん、ありがとうございます。
たくさんの人が、深く深く感謝をしていると思います。
本当にありがとうございます。
トヨタ社長「日本で物づくり、限界超えた」
読売新聞 6月11日(土)10時4分配信
電力不足の広がりに産業界は懸念を強めている。
トヨタ自動車の豊田章男社長は10日、記者団に対して「安定供給、安全、安心な電力供給をお願いしたい」と訴えた。円高に加えて電力不足が広がる現状に、「日本でのものづくりが、ちょっと限界を超えたと思う」と危機感を漏らした。
東日本から西日本へ生産や事業を移す動きを進めている企業も動揺している。
NTTデータは、首都圏のデータセンターにある自社のサーバー数千台を関西地域のデータセンターに移転させる計画だったが、関電の節電要請を受け、「今後、海外を含めて移転先を再検討する」としている。
東芝も岩手県内で生産していた半導体の一部を兵庫県の姫路半導体工場などで代替生産するなど西日本シフトを進めているが、「あまりに急な動きだ。対応をこれから検討する」と戸惑う。
最終更新:6月11日(土)10時4分
真面目に関東の電気代が上がっています。
4月の電気代は、去年と使用量が変わらないのに2500円くらい高いです。
前にも書いたかもしれませんが、日本には現在、アルミニウム会社が1社しかありません。
私が子供の頃には、オーストラリアからボーキサイトを輸入し、富士や富山で作っていると教わったりしたのですが、大量の電気が必要なために電気代の安い外国に工場を移転するしか無かったようです。
残った1社は自家発電なんですね。
普通に原発が稼働していたときから、日本の電気代は高いのです。
これで、7月まで電気料金の基本料が上がることが確定しているので、これはいくらになるのでしょうか…。
もう、節電をするとか・しないとかという話ではありませんね。
電気なんか使えない。(汗)
日本政府、福島県内4カ所を「ホットスポット」に指定
2011.06.11 Sat posted at: 09:11 JST
東京(CNN) 福島第一原子力発電所の事故による放射線量が高い「ホットスポット」のリストに新たに福島県内の4カ所が追加された。日本政府当局が10日、明らかにした。
4カ所のうち3カ所は福島県伊達市霊山町内にあり、日本政府のデータではこの3カ所の年間累積放射線量は推定で年間20.1~20.8ミリシーベルトだという(先進国に住む一般人の年間被ばく線量は約3ミリシーベルト)。霊山町は、福島第一原発から50キロ離れており、約180世帯が暮らしている。
残りの1カ所は福島県南相馬市原町内にある。南相馬市は福島第一原発から33キロ離れており、政府が定めた半径30キロ以内という避難対象地域の圏外にある。
〔CNN〕
あまりにも遅いし、あまりにも杜撰。
しかも、チェルノブイリという前例がありながら、ホットスポットの存在を冷静に判断しようとしないで、なし崩し的に少しずつホットスポットを認めていくのはあまりにも国民不在。
グリンピースなどのデータは認めようとしないし、認めたとしても遅い。
チェルノブイリと同じやそれ以上の数値を示しているエリアで、チェルノブイリと同じことが起こらないとは思えないのですが。
関電:節電要請 橋下・大阪府知事「協力しない」
関西電力の節電要請について、大阪府の橋下徹知事は10日、報道陣に、関西広域連合が夏季の5~10%の節電方針をすでに決めていることに触れ「この期に及んで15%カットはありえない。お願いするなら好きなようにやってほしい。大阪府は協力しない」と述べた。「15%カットしなければ停電するのか、関電は何も根拠を示していない。(節電を強調して)原発の必要性を訴えようという意図を感じる」と不快感を示した。【堀文彦】毎日新聞 2011年6月10日 22時01分(最終更新 6月10日 22時20分)
関電、15%節電要請へ…原発再稼働しない場合
関西電力が、定期点検に終えた原子力発電所を再稼働できなければ夏に電力不足に陥る恐れがあるとして、供給エリア内の全顧客に対し、一律15%程度の節電を要請する方針を固めたことが9日、わかった。
東日本大震災で被災しなかった関電にも影響が及ぶことになり、東京電力の電力不足に備えて「西日本シフト」を進めていた産業界は、対策の練り直しを迫られそうだ。
関電の原発は現在、11基中3基が定期検査を終え、稼働できる状態にある。だが、立地する福井県は、地震や津波対策が不十分として再稼働に難色を示している。このため、新たに定期検査に入るものなども含め、8月までに計6基が動かせなくなる可能性がある。
原発が再稼働しないと関電の供給力は2938万キロ・ワットになる。昨夏並みの猛暑で冷房需要が高まれば、供給能力が200万キロ・ワット不足しかねないという。
(2011年6月10日03時09分 読売新聞)
橋下府知事は政治家だと思う。
「協力をしない」と言っても、府民は節電に協力することは避けられないし、関電は停電を極力避けなければならない。
電気を供給する立場をいいことに、「電気が足りない」→「原子力が必要」というのが透けて見えるのが確かに腹ただしい。
資料の開示を求めても、公開しないで協力だけを求める関電の姿勢は不誠実。
橋下府知事は、意図的にマスコミを利用した議論を起こしているように見えるけれど、この一撃は原子力政策の闇を炙り出していると思います。
こうしてみると、石原は老いたのかなぁ。
修学旅行で被災地・会津へ 仙台の小学校「風評被害収まる契機に」
2011.6.10 02:15
東京電力福島第1原発事故の影響で、修学旅行先として福島県会津地方を敬遠する学校が相次ぐなか、仙台市泉区の野村小学校の6年生7人が9日、同地方を訪れた。保護者の放射能への不安を、下見で安全性を確認することで解消。橋本光一校長は「同じ被災地だからこそ行く意味がある」と語る。会津地方側も「こういう学校が増えることで、風評被害が収まってほしい」と歓迎している。(伊藤真呂武)
◇
福島県会津若松市で鶴ケ城や飯盛山などを見学し、宿泊先の東山温泉グランドホテルに到着した同小一行。同ホテルには原発事故で警戒区域となっている同県大熊町から約220人が避難している。児童と同年代の子供も少なくない。
児童を代表し、野村小の佐々木葵さんが「つらいこともいっぱいあると思いますが、力を合わせて頑張って下さい。同じ震災を経験した仲間として、私たちも頑張ります。みなさんに元気を送りたいと考えて来ました」とメッセージを送った。
同行した橋本校長は「今年の6年生しか体験できない特別な修学旅行になる。この機会を捉えて防災教育に役立てたい」と話す。仙台市では当初、小学校125校のうち107校が会津地方に行く予定だったが、原発事故後、保護者の間で放射能への不安の声が高まり、103校がキャンセル。岩手県や山形県に行き先を変更した。
4月中旬、橋本校長は自ら旅行先を下見し、地元市民だけでなく大熊町民も何不自由なく生活しているのを見聞きし、「何の心配もいらない」と確信した。後日、保護者に説明すると、反対の声は上がらなかったという。
橋本校長は「自分の目で見て、現地の様子を伝えれば、理解してもらえると思った。原発までの距離は会津も仙台もともに100キロ。(キャンセルは)安心して生活する会津の人に申し訳ない。風評被害は残念」と強調する。
この日朝、児童を見送りに来た保護者に向かい、橋本校長は「ご理解、ご協力をいただき、出発することができます」と感謝の言葉を忘れなかった。
宿泊先の東山温泉グランドホテルの笹沢勝文支配人は「修学旅行は秋にかけて、8~9割がキャンセルになっている。今回の訪問は非常にありがたい。こういう学校が増えて、安全性が認識されることで、少しでも風評被害が収まればいい」と話した。文部科学省や会津若松市のホームページによると、会津若松市は午後3時現在、大気中の空間放射線量は0・15マイクロシーベルト、仙台市は午前10時現在、0・13マイクロシーベルトで大差ない。
薄汚いなんかの主張なのか?
それとも天然なのか?
私も元公務員ですから修学旅行利権なんてマヌケなことは言いません(ナイナイ)が。
奇しくも、引率して連れて行ったときの宿泊先が東山温泉グランドホテルでしたね。
プライベートで泊まりに行きたいと思う良い宿です。
さて、仙台市は、ここしばらくは南風のためにふくいちからの放射線からの危険に曝されている。
たった数日とはいえ、むしろ空間線量の低い方向に行かせたいというのが、子供を守る大人の立場というものではないだろうか?
それから、「空間線量」しか問題にされていないが、「吸う」・「食う」・「飲む」ということが全く考慮されていないのではないだろうか?
子供を安全のアピールのために学校に通わせ続ける。
地元食材を使った学校給食を食わせる。
牛乳を飲ませる。
いい加減、子供をダシに使うな!
いまやることじゃない。
福島第1原発:官邸「屋内退避、数日で終了」…甘い見通し
2011年6月10日 2時38分 更新:6月10日 3時20分
東日本大震災から3日後の3月14日午前、東京電力福島第1原発3号機原子炉建屋で水素爆発が起きた。菅直人首相ら政府首脳の協議は大激論となった。「避難指示を(半径20キロから)30キロ圏内まで広げるべきです」。内閣府原子力安全委員会側からの提案に、枝野幸男官房長官らは「30キロに拡大するのはいいが、屋内退避にとどめた方がいい」と反論した。
「30キロ避難」は大規模な避難計画の立案が必要になり、混乱する懸念があった。大勢の住民が避難中に再び爆発するリスクも考慮した。首相は枝野長官の主張を受け入れ、15日午前、「20~30キロ屋内退避」を発表した。
「屋内退避はせいぜい数日で終わる」。だが、政府高官の希望的観測は後に覆される。
「SPEEDIを走らせてはどうか」。16日、福山哲郎官房副長官は内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)東大大学院教授から助言を受けた。原発事故などの際、放射性物質の放出量と風向きから拡散地域と累積線量を予測。住民避難の切り札となるシステムだが、停電で初期データが入力されず、役立っていなかった。
原発の状態は悪化の一途をたどる一方、官邸は放射能汚染地域の全容を把握できずにいた。「現在の放射線量から逆算して予測図を出してほしい」。枝野長官はすぐに班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員長に要請したが、報告は震災から約2週間後。官邸に届いた「汚染図」は30キロ圏内の同心円から変形してアメーバ状に広がり、北西には大部分が30キロ圏外の福島県飯舘村のほぼ全域をのみ込んでいた。
飯舘村の放射線量の高さは官邸にも早くから届いていたが、「点から面」に広がった衝撃は大きかった。原発の爆発リスクを否定できないまま、次の一手を打てず、屋内退避はずるずると続いた。
◇自治体に不信感
長期化する屋内退避は予想外の混乱を招いた。避難指示地域も抱える南相馬市では「30キロ圏内も危ない」との風評が広がり、物流が滞り、市民が続々と避難。いったん受け入れた市外の避難者を2次避難させざるを得ない事態に発展した。
そんな中、国際原子力機関(IAEA)が30日、飯舘村の土壌からIAEAの避難基準の2倍の放射性物質を検出したと国際社会に向けて発表。日本政府は対応を迫られた。
飯舘村をどうやって「実質的な避難指示」に持ち込むか。着眼したのが、原発事故で緊急時に許容される被ばく量を「年間20~100ミリシーベルト」と定める国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告だった。原子力安全委の指針は「50ミリシーベルト以上で避難指示」だが、広い地域が20~40ミリシーベルトで覆われていた。官邸は国際基準へ切り替え避難指示の対象を最低ラインの「20ミリシーベルト」に引き下げた。
だが、飯舘村には唐突に映った。4月16日、住民説明会で「なぜ20ミリに下げたのか」と問い詰める菅野典雄村長に福山副長官は「原発が安定していない。専門家からの助言で設定した」と答えるのが精いっぱいだった。
政府内からは「経産省などから派遣された中央官僚が地方への対処に失敗した」と、避難をめぐる自治体とのあつれきを責任転嫁する声さえ聞かれた。
が、自治体の批判の矛先は政府に向いていた。飯舘村全域を避難対象とする「計画的避難区域」を正式決定し、屋内退避が解除されたのは22日。ある政府高官は悔やむ。「1カ月以上も屋内退避としたのは非常識だった」
バカ総理のバカ計画「1000万戸に太陽光発電」は絶対あり得ない
2011年6月10日(金)16時0分配信 NEWSポストセブン
思い付きで“国際公約”するなど、もはや常軌を逸している。
菅直人・首相は5月のG8サミットで突然、「1000万戸に太陽光発電を設置する」と大風呂敷を広げて悦に入った。海江田万里・経産相が「聞いていない」と絶句し、後に仙谷由人・官房副長官が「夢は大きいほうがいい。『聞いてない』とかグチャグチャいわなくていい」と不真面目な言い訳で煙に巻くなど、またしても政府の体をなさない場当たり政治を露呈した。
ただし、このバカな思い付きは笑ってすませられるものではない。大きな問題点は4つある。第1に、そもそも政策として不適切だ。本誌はこれまでも太陽光発電による原発代替がいかに難しいかを科学的に分析してきた。
大臣すら聞いていなかった今回の計画は、菅氏に悪知恵をつけた経産省によれば「1戸あたり4kW×1000万戸=4000万kW」のパネルを設置するという計画で、これで“全原発の発電量の7割程度を家庭でまかなえる”ことになるという触れ込みだ。
もちろんウソである。原発が1基100万kW程度の「出力」であることは正しいが、「稼働率」が考慮されていない。原発の稼働率が現状でも(相次ぐ事故などで落ち込んでいるが)7割程度あるのに対し、太陽光パネルは12%しかない。したがって太陽光の4000万kWは原発に換算するなら6分の1(稼働率の比)に相当し、およそ6.7基分ということになる。
家庭用の4kWシステムの価格は約300万円なので、原発6.7基分を作るのに総額30兆円かかることになる。いくら脱原発が国民の願いだとしても、まともな政策とはとてもいえないのである。
さらにいえば、住宅はどんどん建て替えられる。パネルを常に1000万戸に設置しておくには、建て替えのたびに1戸300万円が必要で、これは未来永劫続く国民負担になる。
第2は、政治手法としての重大な問題だ。
国内で論議も提案もなく、突然、総理大臣が国際会議で「30兆円の公共事業計画」を約束してくることは暴走というしかない。もしこれが「30兆円かけて巨大ダムを300基造る」という話なら、マスコミはもっと叩いたはずだ。
第3には、憲法・法律に抵触する。
菅プランは一般家庭に政府が強制的に太陽光パネルを設置しようという前代未聞のものである。個人宅を勝手に徴用し、憲法が保障する財産権を侵す行為である。これも、もし「全家庭のベランダに小型発電機を置きますのでよろしく」という政策だったらどうかと想像すれば、異様さにすぐ気付くだろう。左翼独裁政権でもなければ、とても思い付かない暴挙である。これを「夢が大きくていい」などという人物が人権派弁護士を気取るとは驚きだ。
第4に、技術的に計画遂行は無理である。
前述のように、経産省の“試算”は、一部の太陽光信者と同レベルのデタラメな代物だが、その数字さえも現実を見ていない。
日本には2700万戸の民間住宅があるが、同省がそのうち1000万戸にパネル設置可能とした根拠は、耐震基準調査である。全家屋の約3分の1がパネル設置に耐えられる耐震基準を満たしているというのだが、裏を返せば3分の2の住宅は設置ができないわけで、それくらいパネルは耐震性を損なうものなのだ。
設置可能とされた1000万戸のうち、いくつで事故が起きるだろうか。すべてが無事故ということはあり得ない。現に、今でも耐震基準に問題ないとされた住宅がパネルの重みで歪む、あるいは地震で損壊する被害は出ている。
地震だけではない。日本の国土の約半分は豪雪地帯である(豪雪地帯対策特別措置法による)。耐震基準ギリギリの家屋にパネルを設置し、その上に雪が積もれば危険このうえない。また、そうしたパネルは1年の3分の1くらいは雪の下だから発電効率は前記の12%よりずっと低くなる。しかも雪の重み、低温、湿気などでパネルの損傷は他地域より激しい。
こんな問題だらけの計画を大威張りで発表する総理大臣のバカさ加減には、もはや付ける薬もない。
※週刊ポスト2011年6月17日号
太陽光パネルは、将来の可能性はあると思います。
しかし、メインに据えるのはまだ無理がある。
1000万戸計画は、サミット直前に孫SB社長から聞いた話の受け売りということですが、この人はトップダウンということを勘違いしているんじゃないだろうか?
言えば下々の家来がなんとかするという感覚でしかないのではないかと思う。
記事は週刊ポストなので「煽り」があるものの、充分考慮しなければならない問題だと思います。
原発が無くなったあとの電気は、何か一つに変わるものではなく、複合的に考えて、日本人の生活習慣を変えていかなければならない問題なのだと思います。
興味深いサイトです。
【 未来を選べ! 衆議院議員選挙候補者をエコチェック 】
次の総選挙での争点は、原発と増税が争点となるのでしょう。
いい加減、マスコミに踊らされるのはウンザリです。
投票には「白票」という選択もあります。
白票が増えれば、その選挙自体が無効となります。
つまり、選挙公約にだめ出しをすることも可能なのです。
無理に選ぶことはありません。
政府、避難完了確認せずベント実施=福島原発事故
菅直人首相は10日午後の参院予算委員会で、3月12日に福島第1原発1号機で放射性物質を含む気体を原子炉から抜くベントを行った際、原発から10キロ圏の住民の避難が完了したかどうかを確認せずに政府として実施に踏み切ったことを明らかにした。自民党の丸川珠代氏が避難完了を確認していたかをただしたのに答えた。
首相は「原子炉格納容器が壊れれば、ベントとは比較にならない大量の放射能を放出する危険性がある。避難指示から時間はあり、避難はかなりできていたはずだ」と述べ、より大きな被害を避けるための見切り発車だったと認めた。経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長も「避難完了の時間は確認できていない」と述べた。(2011/06/10-19:37)
初動ミスで余分な被ばくと批判 小佐古氏提出の報告書
東京電力福島第1原発事故で、政府の対応を批判して4月末に内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘東大教授(放射線安全学)が、辞任直前に菅直人首相に報告書を提出し、「不適切な初動」で放射性物質の拡散予測結果が十分に活用されず、住民に「余分な被ばく」を与えたと指摘していたことが10日、分かった。
小佐古氏は報告書で首相官邸の指導力不足や原子力安全委員会の機能不全を挙げ初動を批判。「小児甲状腺がんの発症が予想される」ことから福島県と近県で「疫学調査が必須」としている。今後の検討事項として、被ばく者手帳の発給やメンタルケア対策を挙げた。
2011/06/10 19:57 【共同通信】
何度も書きますが、菅首相は二重三重に初動を間違えた。
原子炉に対しても、地域住民に対しても。
唯一正しかったことは、視察にSPEEDIの情報を使ったことくらいでしょう。
そのミスをミスにしないために、住民避難を遅らせ、汚染食品をばらまき続けている。
事故を起こした内閣に、正しく事故後の対策が取れるわけがない。
ミスを隠すことを優先するから。
民主党の次期党首が取り沙汰されていますが、菅の1日も早い退陣はもちろん、現在菅内閣の一員である人たちは党首になる資格はないでしょう。
事故の隠蔽が行われる可能性があるからです。
そうすれば、避難が必要な地域の人々、汚染食品の流通などは踏襲されてしまう恐れがある。
この原発事故は、イチ地域の存亡の問題ではなく、東日本の存亡の問題です。
ハッキリ言えば、この事故を民主党にまかせ続けることが無理だ。
村上春樹さん:カタルーニャ賞で「核に対するノー」演説
スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、人文科学分野で功績のある人物に贈るカタルーニャ国際賞を作家、村上春樹さん(62)に授与した。バルセロナの自治州政府庁舎での受賞スピーチで村上さんは、東日本大震災と福島第1原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
「非現実的な夢想家として」と題したスピーチで、村上さんは震災後の日本がやがて「復興に向けて立ち上がっていく」と強調。ただ、原発事故は、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」とし、今回は「自らの手で過ちを犯した」との厳しい見方を示した。
村上さんは「効率」優先の考えが過ちの原因とした上で、政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第3の原発大国になったと指摘。原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。
その上で「われわれは持てる英知を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」と述べた。
村上さんはまた、復興に際し建物や道路と違って簡単に修復できないのは「倫理や規範」だと指摘。「倫理や規範の再生はわれわれ全員の仕事だ」とした。「夢を見ることを恐れてはいけない。『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。われわれは力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」と締めくくった。
授賞式の参加者によると、グレーのジャケット姿の村上さんは日本語でスピーチ。よく通る声に静かに聴き入っていた聴衆は、最後に大きく拍手し、受賞をたたえた。
カタルーニャ国際賞は1989年の創設。今年で23回目だが、日本人の受賞は初めて。村上さんは、賞金の8万ユーロ(約930万円)は震災と原発事故の被災者に寄付すると語った。(バルセロナ共同)
毎日新聞 2011年6月10日 10時07分(最終更新 6月10日 19時13分)
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)
作業員、意識不明で病院に=前日は飛散防止剤散布―福島第1
時事通信 6月10日(金)12時33分配信
東京電力は10日、福島第1原発で働いていた協力企業の40代男性作業員が同日朝、意識不明となり、ドクターヘリで福島県いわき市内の病院に運ばれたと発表した。発熱もあるという。
この作業員は9日午前、防護服に全面マスク姿で放射性物質飛散防止剤を散布する作業をしていたが、宿舎で10日朝、意識混濁状態になっているのを同僚が発見した。9日の被ばく放射線量は0.07ミリシーベルトだったという
東電社員3人、被ばく250ミリ・シーベルト超
東京電力福島第一原子力発電所の30代と40代の男性社員2人が緊急作業時に認められる被曝(ひばく)量の上限250ミリ・シーベルトを超えた問題で、東電は10日、さらに50代の男性社員1人について上限を超えた恐れが高いと発表した。
30代と40代社員の被曝量は、それぞれ678ミリ・シーベルトと643ミリ・シーベルトに確定した。
厚生労働省は同日、労働安全衛生法違反で同社に是正勧告した。今後、限度を超えて被曝した作業員が出た場合、書類送検も検討するとしている。
東電によると、50代社員は3月11~14日にかけて、当直長として3、4号機の中央制御室で事故対応などにあたり、15日以降も事故対応拠点の免震重要棟で勤務していた。既に110ミリ・シーベルトの体外被曝が判明しており、今後、体内被曝量の精密な測定を行う。今のところ、健康に異常はないという。
運転員だった30代と40代社員が多量に体内被曝していることが先月下旬に判明。他の運転員を検査したところ、当直長も甲状腺に多量の放射性ヨウ素を取り込んでいた。
短時間に500ミリ・シーベルトを超えて被曝すると、血液異常などの急性障害が起きる可能性がある。一方、体内に取り込んだ放射性物質によって長期間、被曝が続くと、将来、がんになる確率が高くなると考えられている。
(2011年6月10日21時10分 読売新聞)
いよいよ、事故の長期化と暑くなってきたことから、作業員の方々にいろいろと出てきてしまいました。
見ず知らずの方々ですが、日本の守り神です。
伊勢に逃げたときから、原発の収束作業に当たっている方々が少しでも被曝が避けられるよう祈っているのですが、現実は厳しいですね。
くれぐれも無理をしないように努めて下さい。
東電株主402人、原発撤退を提案 取締役会は反対表明
2011年6月10日13時35分
東京電力が28日に都内で開催予定の定時株主総会に、株主402人が原子力発電からの撤退を求める議案を提出した。東電が10日公表した株主総会の招集通知で明らかになった。同社の取締役会側は反対意見を表明している。
株主提案は原発について「ウソに塗り固められ、未来の子供たちに負の遺産を残し、地元に負担を押し付ける」と批判。会社の定款に、古い原発から順に停止・廃炉にし、新設・増設は行わないとする項目を新設するよう要望している。取締役会は「業務執行に関する事項は取締役会の決定に委ねることが基本」と反対している。
すでに、福島第一原子力発電所の事故だけで、株主訴訟が起こってもいいのではないかってレベルだと思うのだけど。
天災か人災かという点については、今後、裁判は避けられないと思うのですが、Yes・Noというより、天災と人災の割合ということになっていくのでしょう。
で、これだけ資産を目減りさせておいても原発はやると。
なんかスゲーとしか言いようがないな…。
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