原発立地寄付 悪い循環を断ち切ろう
2011年10月21日
東京電力二十年余で四百数十億。中部電力三年で二十六億。原発立地地域には巨額の寄付金が注がれ、電気料金に上乗せされてきた。これが本物の地域振興なのか。電力消費者も考えたい。
原発のある自治体には、巨額の原発マネーが流れ込む。
立地に伴う国からの交付金、稼働中の原発に対する核燃料税、固定資産税、そして寄付金だ。
これまでに支払われた原発マネーの総額は、約三兆円にも上る。
交付金の財源は、電源開発促進税。これは私たちの電気料金に上乗せされてきた。毎月一世帯平均百十三円程度の負担を強いられている。大型原発一基に付き、建設の準備段階から運転開始までの十年間で五百億円近い交付金が、立地地域に配分されて、公共施設の整備などに充てられる。
自治体の財政にとっては“あぶく銭”であるはずが、いつの間にか、それを基本にまちづくりが進んでいく。歳入の過半を原発マネーが占める町もある。
ところが、十年を過ぎると交付金の額は一気に減額される。資産価値も目減りする。膨らんでしまった財布を維持するために、自治体側は原子炉の増設を要望し、寄付をねだることになる。まさに悪循環である。
原発マネー依存の自治体を一概には責められない。過疎地に原発をつくるのは、膨大な都会の消費を賄うためだ。膨らむ危険の代償として、都会から過疎地へ原発マネーが流されるという、もう一つの悪循環があるからだ。
原発が本当に安全で、クリーンなものならば、原発マネーは必要ない。迷惑施設と呼ばれることもないだろう。核燃料をリサイクルするプルサーマル発電や、運転開始後三十年の老朽原発には交付金の加算がある。これらこそ危険と不安への対価にも見える。
福井県の元原発担当者から、こう聞いたことがある。「福井は四、五十年かけて原発が地元に根付くよう努力してきた。交付金で橋や学校、温泉ができた、みたいなこともあるけれど、苦楽をともにというか、目の前に原発があって、農業や漁業を営みながら、原子力とともに歩んできた」
脱原発には脱原発依存型の地域振興が必要だ。政府の手助けも必要だ。一方、都会の消費者も、原発マネーの悪い流れの中にいる。立地地域に“苦”を強いる、その弊害を意識して、原発依存の暮らしを見直すときだ。