「大丈夫」思い込もうとする空気 福島 伝えたい
2011年11月17日
子連れ避難 元キャスター金沢で決意
福島テレビ(福島市)で十五年にわたりアナウンサーとして活躍した原田幸子さん(37)が、東京電力福島第一原発事故を契機に長女の真帆ちゃん(6つ)と実家のある金沢市に避難している。「故郷」と呼ぶはずだった福島だが、第二子の妊娠が分かり七月で退社。福島を離れた。「報道に携わった一人としての体験を多くの人に知ってほしい」と今、金沢市であるイベントなどで自らの経験を語る。(松岡等)
夕方のレギュラー番組でキャスターを務めるはずだった三月十一日。揺れが襲った直後からヘルメットをかぶってカメラに向かう。保育園に預けていた娘の安全を確認できたのは夜だった。夫は他局のアナウンサーで、母娘の二人は三日間、局で寝泊まりした。
1号機が爆発し、十四日朝、金沢の両親に頼んで娘だけは避難させた。3号機爆発による大量の放射性物質が福島市に届く直前だった。
三月中に初めて金沢に戻った時、友人が食事に連れ出してくれた。豊富な食べ物、汚染を気にすることもない。「これが普通の生活だったんだ」。涙が出た。
*ふくらむ疑問
それから福島と金沢を行き来する。「東北新幹線で途中、マスクをするのが戦場に帰るために切り替えるスイッチ」だった。
伝えるニュースに「これでいいのか」という疑問がふくらんでいく。例えば福島駅近くでサクランボをほおばる幼稚園児の話題。洗わないまま『おいしい』と言って食べる“安全性”のアピール。「これって放送していいの?」と思わずにいられない。
原発報道でテレビへの信頼が失われていくのを実感する一方で「テレビが言ってんだから安全だべ」という人も。本当に福島の人たちに必要な情報を伝えているのか自問した。
以前から熱望していた妊娠が分かったのはそんな時。「まさかこんなタイミングで」。母親として踏ん切りがついた。福島にはいられない。「命って引き継がれていくんだなと思う。これだけの犠牲があったのだから、強い子になる」。現在妊娠八カ月。男の子と分かった。
*感じる引け目
福島で今、一番の話題は除染。「大丈夫だと思おうとしているよう。残った人はそういう精神状態になるし、メディアもその方向に進んでいくような気がする」。けれど除染にどれだけかかるのだろう。「県をなんとか維持したいという人たちの思いを感じる」
最近の電話で知人から「日常の生活で(放射能を)気にするのにも限界がある」と聞いた。「金沢に実家のある自分は幸運。すべてを捨てて福島を離れるのは並大抵じゃない」
半面、避難した人は引け目も感じる。取材されたくない人は金沢にも数多い。だからこそ、報道に携わった者として、経験を自分が話したい。福島のことを聞いてほしい。原発事故の反省を生かさせなければ、福島が被った犠牲の意味はないから。
非難している人も多いようですけど、この人の言葉の意味や行動の意味を考えてあげて欲しい。
アナウンサーといっても、いち社員。
社の方針として与えられたものを伝える中で、葛藤もあったのでしょう。
辞めてしまえば、ただのいち市民。
ひっそりと金沢で生活をする方法もあったはずです。
あえて顔を出して、自分の葛藤を晒す勇気とその意味を考えてあげて欲しいです。
夏に関西に行ったときに、行きつけのレストランで食べた普通のセットの美味しかったこと。
そこは、野菜はある程度は自家栽培しています。
普段から産地は厳選しているお店でした。
関東でピリピリした日々を過ごしていただけに、安心して食べれるというのは有難かったです。
それだけに、関東でさえ異常だとつくづく感じたものです。
子供や女性のいるご家庭は、少し外に出て、外の世界の空気感を感じて欲しいと思います。
伝えるというのは、つらいものです。
生身の人間に伝えるというのは、とてもつらいものです。