特集ワイド:チェルノブイリの25年を生かせるか 現地で医療活動の専門医に聞いた
◇福島と同じ「レベル7」、現地で医療活動5年半の専門医に聞いた
◇放射性ヨウ素、セシウムの健康影響「注意すべきだ」
広範囲に放射性物質をまき散らし、健康被害が懸念される福島第1原発事故。特に心配なのが子どもたちへの影響だ。福島と同じく最も深刻な「レベル7」とされる旧ソ連・チェルノブイリ原発事故では、何が起こったか。同事故で汚染されたベラルーシで5年半、医療活動をした甲状腺がん専門医で長野県松本市長の菅谷昭さん(68)らに聞いた。【宍戸護】
「(呼吸や食べ物を通して体内に取り込まれた放射性ヨウ素による)内部被ばくの典型的ながんの症例が、チェルノブイリの子どもの甲状腺がんです」。11月12日、松本市の波田文化センター。放射能による健康被害についての講演会で、菅谷さんは甲状腺の図が映し出されたスクリーンを背に市民に語りかけた。「官房長官は『ただちに影響は出ない』と言いましたが、内部被ばくの場合は、何年かしてから出てきます……」
チェルノブイリ原発事故は1986年、ウクライナ北部のベラルーシ国境近くで起き、両国とロシアに汚染地が広がった。菅谷さんは信州大医学部助教授の職を辞し、96~2001年、ベラルーシに滞在。首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターなどで、甲状腺がんの子どもたちを治療した。チェルノブイリの健康影響については、日本人で最も詳しい医師の一人だ。
甲状腺は、首の下方にあるチョウのような形の臓器で、体の発育などを促すホルモンを分泌している。体内に取り込まれた放射性ヨウ素は、3カ月~半年で消失するが、その間に遺伝子を傷つけ、数年後にがんになるとされる。
小児甲状腺がんは普通、年間100万人に1~2人。だが、ベラルーシでは原発事故の4~5年後から急増し、隣接するゴメリ州では130倍にも達した。当初、甲状腺がんと事故の因果関係を否定していた国際原子力機関(IAEA)も、96年に一転して認めた。ただ、白血病など他のがんや病気については「結論は時期尚早」などとし現在に至っている。
日本ではあまり伝えられていないが、菅谷さんによると、甲状腺がんの手術を受けた子どもの6人に1人が、後に肺に転移していることが分かっているという。
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菅谷さんは、福島第1原発事故による環境汚染はチェルノブイリに比べれば小さいとの説に異議を唱える。
場面は再び講演会。スクリーンに、1枚の地図が浮き上がった。ベラルーシが発行している「事故後10年目のセシウム137の汚染マップ」だ(図参照)。放射性物質セシウム137の、1平方メートル当たりの強さがベクレル単位で示されている。
被災地周辺を(1)3万7000~18万5000(2)18万5000~55万5000(3)55万5000~148万(4)148万以上--に色分け(区切りが半端なのは古い単位のキュリーを基にしているため)。ベラルーシの基準では、(1)は年1ミリシーベルト以下(2)は1ミリシーベルト以上(3)は5ミリシーベルト以上に相当する。菅谷さんは市民にこう説明した。「148万ベクレル以上は居住禁止区域とされ、55万以上も(厳戒管理区域で)住まない方がいいと言われています。私が計2年間住んでいたゴメリ市とモーズリ市も、3万7000~18万5000ベクレルの汚染エリアでした」
続いて、文部科学省が8月に公表した福島県の汚染地図がスクリーンに。最大値は300万ベクレル以上で、チェルノブイリにおける居住禁止区域の最低レベルの2倍に達する。チェルノブイリで厳戒管理区域とされた55万5000ベクレル以上のエリアを福島の図に当てはめると、福島第1原発から北西に、飯舘村の大部分をのみ込む。福島市や郡山市の一部もチェルノブイリの基準では「汚染地域」となる。
では、前述の放射性ヨウ素に起因する小児甲状腺がんについては、どうなのか。
講演会の後、菅谷さんはこう語った。
「ベラルーシではセシウム137が3万7000ベクレルの汚染地からも、小児甲状腺がんやさまざまな症状が出ている。福島の放射性ヨウ素の汚染地図は公表されていないので、何ともいえませんが、ベラルーシにおけるチェルノブイリ事故2週間後の放射性ヨウ素の汚染地図から推測すると、セシウム137の分布とそれほど変わらないと考えられる。健康影響については十分注意して考えるべきです」
菅谷さんは、100ミリシーベルト以下の被ばくなら発がんを含め健康影響の可能性は低い、との説についてこう語る。「それを唱える研究者がよって立つところは結局、広島・長崎の原爆の影響を基にした長期調査ですが、あの結果は主に外部被ばくについての調査。チェルノブイリで起きている事実からすれば、線量に関わらず甲状腺がんになる可能性も否定できないと思います」
チェルノブイリの被災地は今、どうなっているのか。交流のある現地の複数の医師から聞いた話として、菅谷さんはこう明かす。「子どもたちの免疫機能が落ち、風邪を引きやすくなっています。疲れやすく、貧血の子も多い。そのため授業を短縮している学校もあります。また、ここ10年くらいは、早産と未熟児が非常に増えています」
その背景には、多くの住民が汚染地で栽培された農作物を食べ続けていることもあると見られる。こうした健康影響と原発事故の因果関係が、必ずしも明らかではないのは菅谷さんも承知している。「それでも、甲状腺がん以外にもいろいろな症状が事故後に急増しているということは、もっと広く知らせたい」
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放射性物質の総放出量はチェルノブイリが520京ベクレル(1京は1兆の1万倍)、福島は77京ベクレル。福島のセシウム137の放出量は単純計算で広島原爆約168個分とされる。チェルノブイリの場合は原発30キロ圏内は除染し切れず、今も人は住めない。政府の除染はうまくいくのか。
90年からウクライナ住民を支援し、福島県南相馬市で放射線量を継続調査しているNPO「チェルノブイリ救援・中部」(名古屋市昭和区)理事で元名古屋大学助手の河田昌東(まさはる)さん(71)は、ウクライナと福島を見比べて「学校の校庭や公園の除染は可能。農地は平らならばできるが、山地は難しい。森になったら不可能です。莫大(ばくだい)な予算もかかり、除染をして住民を戻そうとする国の政策は恐らく破綻します」。菅谷さんも「これだけ大規模な汚染だと、医療に例えれば、除染だけでは根治的な治療になりません。除染費用の一部で、学校単位で子どもたちを一定期間、汚染がない場所に移せば、体内からセシウムが排出されてきれいになる。福島の子どもたちが、ベラルーシの汚染地の子どものように健康が損なわれないよう、政府は早く手を打つべきです」と、「一時的集団移住」を提案する。
事故から25年。チェルノブイリ原発事故の教訓は福島に生かされているのだろうか。
毎日新聞 2011年11月24日 東京夕刊