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千姫の化粧料として与えられた収入で作られたので化粧櫓。でも、千姫が住んでいたわけではありません。しかし、これでは千姫が住んでいたようです。なんかのパンフでは貝合せをしていたのですが、今日は百人一首をしていました。
豊臣秀頼の正室で有名な千姫は、そのあと本多忠政の嫡子忠刻に嫁ぎ姫路城に一時期住んでいたそうです。そのときに信仰していたと案内にありました。朝夕祈っていたそうですが。
今度は大天守方面を写してみました。この距離はけっこうあります。お城は広いですね。
夜になるとこの大戸が閉められるそうです。やはり、江戸時代は自由はありませんね。
窓に溜まる水はこのような感じで抜いていたそうです。今と発想は変わらないですね。
夕方で雨も降っているのでかなり暗いです。女中たちが住んでいたそうです。廊下といっても、階段による上り下りがついていたり、防衛機能もついています。
どうも見たことがあると思ったら、俗称「将軍坂」。暴れん坊将軍などでよく出てくるので、この名前がついたそうです。大奥などでも見覚えがあります。
石垣にはこのような石も使われています。姫路城は案内板もオシャレです。
見落としたので大急ぎで戻りました。水一門の近くにあります。下の方にあるのかと思ったら、上の方でした。秀吉が姫路城を建築しているとき、老婆が石臼を持ってきてくれたのでそれを宣伝し、住民たちが石を持ち寄ったそうです。
そういう看板があったので、ほぼ同じ構図で取ったのですが…。やっぱり覆屋では締まらないですね。
いきなりいろはに戻りました。かがまないと通れない低い門です。
これは秀吉の頃以前に作られたものなのだそうです。油を練りこんだ土で作られています。
これはあとから作られたものでしょう。歴代の丸瓦が展示されていて面白いです。
それにしても姫路城は門の多いお城です。門のところの札が無ければ、どこか分かりづらいです。
一瞬土砂降りでしたが、止んできたので天空の白鷺から出ました。写真も省略ギミ。
下の階に降りると、さらに作業中の様子が見えます。こちらは、壁を作る順番を見ることが出来ます。
見学者に見せるために、作業を少しずつずらして残しているようです。曲線がとても美しいですね。
天空の白鷺最上階から百間廊下方面を写して見ました。千姫の御殿は残りませんでしたが、よく残ったものです。
漆喰作業の順番が展示されています。このように少しずつ瓦に漆喰が盛られていくそうです。
池田氏の紋の揚羽蝶紋。例の何に使われたのか分からない四半瓦と同じ蝶が使われています。その横の蝶はかなり可愛らしい。
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