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巨石つながりで楯築遺跡にも立ち寄ってみました。ここは古墳なのだそうですが、住宅街になっています。古墳時代以前の古墳であることも特徴的。また、写真のように巨石がほぼ円形状に並んでいます。ここも温羅伝説があり、吉備津彦が温羅の攻撃に備えて防御のために楯を作ったといわれています。
このままでは叶わないと思った温羅は鯉になって逃げたそうです。(ちょっと省略)吉備津彦は鵜になって追いかけ、ついに追い詰めて捕らえたそうです。その捕らえた場所がここなのだそうです。
矢喰の岩を過ぎると、小さいながらも随神門。その奥にお社があります。お社は、水に囲まれています。御祭神は吉備津彦命です。
吉備津彦と温羅の戦いの縁のある神社です。吉備津彦が放つ矢に対して、温羅は石を投げ(一説には矢とも)てぶつけ、その岩がここに落ちたのだそうです。かなりの巨石が転がっています。らちが明かないので、吉備津彦が矢を2本同時に放ったのですが、温羅は気づかずに石を一つ投げたことから1本が目に刺さってしまったのだそうです。
本殿は中国地方らしく、少し高い位置。立派なつくりです。
入り口には払詞が書いてあり助かります。絵馬堂も兼ねているようで、美しい絵が奉納されています。近くに行って見てみたかったです。
ここは長い石段でしたが、10段ずつになっていていいテンポで上がれます。歩きやすいです。
差し上げ岩の近くには毘沙門堂がありました。ゆっくり見る間もなく、蚊に追われて逃げ出しました。
違うアングルから。鬼が持ち上げたときに、その指の跡が残っていることから「鬼の差し上げ岩」と言われているわけです。岩の気配を感じる以前に、蚊の集中砲火を食らってしまい、大急ぎで撤収しました。
鬼ノ城をあとにして、さらに奥の岩屋寺に来ました。ここには温羅の住処といわれる岩屋があります。とても自然に作られたものとは思えません。
南門から少し近いせいか、少し整備されています。しかし、上に建物を乗せる予算は無かったんですね。(笑)いつしか、全ての門が整備されるといいと思います。
一時期は山岳仏教の地になっていたようです。とくにこの千手観音さんは立派です。
ほぼ山の山頂なのに、かなりの湧出量のようです。晴天が続いているのにかなり流れています。
東門はもっとシンプル。しかし、周辺の排水設備はかなりしっかり作られています。
ここが鬼ノ城として古代山城と認識される前から有名な場所だったようです。霞んでいますが、瀬戸内海まで見渡せます。それがここに城を作らせた理由なのでしょう。
舊は旧。鬼の温羅の住処と思われていたんですね。
てくてくと歩いて北門。これは予算が無いからこんな感じなのでしょう。登山道も兼ねているようです。
塀の内側はこんな感じ。かなりの部分が出土したままになっています。活動のしやすさにくわえて、やっぱり排水が考えられています。
西門の北側にあった角楼跡。今は展望台になっています。
0号の水門です。土塁や石垣を守るために、排水はかなりしっかりしています。
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