昨日から動き続けています。
喘息の担当医が昨日だけなので、飛び込みで治療。
妻と合流して、父の転院受け入れの可能性のある病院へ行って、交渉1時間半。
なんとか受け入れてもらえることになりそうなので、がんセンターの医療相談支援室に連絡をして手続きに入ってもらうことに。
自分で言うのもなんですが、高校教師の頃からの「根回し」の腕はあまり衰えていないようで、普通ならこの土壇場で転院を希望しても1ヶ月待ち、紹介状を書いてもらうのも1週間から10日などと言われましたが、強引に動かしました。
病院探しは受験と似てますね。
1時間後には、1週間から10日も掛かるといわれた紹介状も完成して、転院先の病院にFAXされたそうです。
しかし、ここでイレギュラー。
父が、勘違いから「母が通うのが大変だからそこはイヤ」と言っていると病院からの連絡。
もう私も妻もドロドロに疲れているので、温泉に行こうと思っていたのに予定変更。
転院先の病院から、実家によって母をピックアップしてがんセンターへ。
むしろそこの方が通いやすいし、受け入れ態勢も良いと説得。
父もすぐに納得してくれましたが、交渉に入ったのにポシャると次の転院先はないと脅されていたので良かったです。
母を送り、弟に経緯を話して丹沢山麓に戻ったのは午前3時になっていました。
そして、今日も朝から電話まみれ。
四方八方に電話を掛けて、電話を受けて、合い間に市役所に行って、なんとか予定通りにひと段落をつけることが出来たので、行きつけの海辺の美容室に来ました。
気がつくと、ずいぶんと長い付き合いになったもので、ついついグチにつき合わせてしまいます。
切り終わった後にタイミング良くがんセンターから電話。
病院間の話し合いもついて、細かな日程も決めていただき、父への負担も最小限で済むように配慮をしていただきました。
しかし、私が居なくても父母弟で対応できるように、弟に何とか花を持たせるように根回しに根回しを重ねたつもりでしたが、そちらは結局は弟が動かずに大失敗。
もうちょっとマシかと思っていたのですが、物見の役にも立たないし、自分の力量を測って期日を守ることも出来ないことが良くわかりました。
まあ、愚直だけがとり得なので、父母を任せて私が好きに生きられるので、それは感謝しているのですけど、母の衰えが目立つ以上、新しい形を考えなければならないところに来ているのかもしれません。