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綾傘鉾の御会所となっている大原神社。傘鉾は応仁の乱以前からあったそうで、剣鉾や鎌鉾などと並ぶ現在の山鉾の原型ともいえる形なのだそうです。それが発展して長刀鉾のような形になったこともあり、その模型が会所が開いている時期に見ることができます。その他、傘の上の飾る鷄も現在のものと古いものなどが展示してあり、狭いですが見どころの多い神社です。 ちなみに、ここは大原神社の御朱印と綾傘鉾の御朱印も売っています。
見ての通りに船の形をしていて、舳先には金色の鷁、舵は黒漆塗螺鈿の飛龍文様とゴージャス感の高い鉾です。出陣の船鉾として、前祭に巡行します。後祭には大船鉾が巡行して対となっています。この鉾にはまだ乗ったことがありません。
南西エリアの山鉾周辺は人があまり多くない印象が強いのですが、今日はけっこう人が多いです。会所に入るのにも行列になっています。さすが土曜日。明治期に改名されて現在の伯牙山になりましたが、それ以前は「琴破山」と呼ばれていたそうです。
芦刈山はセンスが好きな山です。縣装品はどの山鉾でもいろいろなものを持っているのですが、芦刈山保存会のHPはかなり丁寧に作られていて見ていて楽しくなります。ちなみに、駒形提灯の下から見えるライオンは、山口華楊氏の「凝視」という作品です。毎回載せてしまいますが、下の写真は織田信長公より拝領されたという小袖。小袖の右後ろが見送りで、左後が胴掛となります。どれも色鮮やかです。
梅鉢医院が目印の油天神山です。装飾品の扱いは山鉾によってそれぞれですが、ここは比較的飾ってあって巡行のイメージに近いです。山や鉾に飾られる1つ1つが貴重品ですから、中には山の原型だけのところもあります。ただ、御神体は別格で、巡行の朝までは会所に置かれているようです。
いろいろと考えていましたが、今年は一番山の粽は買えないということなので太子山にしました。入口に、新調されたと思われる荷茶屋(にないちゃや)が置いてありました。真ん中のデザインがオシャレです。太子山の会所は秦家住宅という古い家屋で、普段は太子山奇応丸という子供用の薬を売ったりもしているようです。この薬は、古く鑑真和上が持ってきた薬ということ。太子山は応仁の乱以前からの歴史があるということもあり、半端ない歴史です。
八坂のえべっさん。こちらはさらに参拝者がいなかったので、2人でゆっくりできました。時間をかけて過ごせるというのは幸せなものです♪
時間貸しの駐車場だと気持ちが急かされるのが嫌ですが、まわりたいところはキッチリ回ります。疎かにしてはいけないところを疎かにするのなら、やらない方がマシ。やる以上はキチンとやりましょう。今日は主役ではないので、境内の賑わいと比べると比較的訪れる人は少なめです。その分、ゆっくり参拝できました。
祇園祭は八坂神社の祭礼です。ということで、去年の粽をもって八坂さんに来ました。昨日のうちに御霊は御神輿の方に移っています。今日は八坂さんの近くに車を停め、怒涛の参拝です。
黒主山のマンションです。撤収がてらに通りがかったら、今年も飾ってありました。写真を撮ろうと思ったら、扉が開いてビビって撮ったのでブレまくっています。(笑)今年は、近所で粽も売っているそうです。去年の後祭の人数の激減を考えると、収入の方法を考えなければならないということでしょう。32基から前祭22基、後祭10基になって、それぞれゆっくり回れるようになりましたが、後祭の山鉾はどうしても不利なような気がします。
いつもの通りのやよい軒。ちょっとお米の質を落としたかなぁ。あと、スタッフが劣化したかなぁ。味はそれなりにまあまあなんですが、お客が困っていても見て見ぬふりをするスタッフやスタッフの連携など、なんとなく危険水域に入っているように思います。
今年の山一番は山伏山です。24年ぶりということです。聞いてみたところ、すでに粽は売り切れ。ここは、茅の輪くぐりをやっていることも含めて人が集まっています。11時過ぎでも列ができていました。茅の輪に関しては、8の字回りは禁止されています。
時間が遅くなって規制が緩くなってきたので、先に占出山に来ました。ここは国宝の小太刀と、日本三景の前掛、胴掛が見事です。こういうのを見ると、すべてが飾られた状態の山鉾巡行も見たくなります。
四条通をまわって、やっと室町通の北側に来ました。時間は10時をまわっていますが、まだまだこの通りは人が多いです。駒形提灯も消えていませんが、授与品の販売は終了しています。ちょっと気になるものもあるので、また明日。
新町通は、八幡山、北観音山、南観音山が後祭になったので、四条通北側は放下鉾だけ。大型の山鉾が並ぶ姿は壮観だっただけに、前祭も後祭も物足りない感じになりました。新町通は北から南への一方通行ですが、厳しいのは錦小路通から四条通の区間だけ。ただ、横移動に規制が入るのは移動が困難です。
木賊山から、くろちくバーゲンを思い出して山鉾まわりを中止。西洞院通を北上し、規制の緩い蛸薬師通からまわってくろちくに来ました。本当は霰天神を引っかけて行きたいところでしたが、西洞院通からでは錦小路通は逆方向という面倒くささ…。ここからしばらくは妻の時間帯です。(笑)
そのまま流れで仏光寺通を西に移動して木賊山。ここらへんの山は、比較的近代化していない昔ながらの風情を残していて、人も少な目。その中で、ここは数年前に会所が綺麗になりました。しかし、そろそろ身体の方がガタガタです。かなり運動不足です…。
通りの町屋に飾られていました。一瞬、見たことのない鉾だと思ったのですが、壁に長刀が置いてあることと、独特の「長」の文字があったので長刀鉾のようです。しかし、屋根の上の飾りが明らかに違います。江戸時代くらいには、このような形だったのかもしれません。
白楽天山周辺の一方通行は規制が厳しくないので、逆行して仏光寺通に戻り、そこから新町通。新町通は北から南への一方通行なので、北の船鉾には行けません。岩戸山は、3つの山が合わさってできた山なので、御神体は3体。その前に置かれている鳥居の上には鶏が置いてありますが、風格があります。
縦軸である室町通、新町通、西洞院通と、横軸である錦小路通、四条通、綾小路通がそれぞれ規制されて一方通行になっているので、白楽天山には南からのアプローチしか方法がありません。こうなると、目的の山に行くためにはどうしても取りこぼしてしまう場所が出てきてしまいます。鶏鉾から遠い場所でもないのに、その8倍くらいの距離を歩いてたどり着きました。それでも、学問の神さまなので外せません。お会いできてホッとしました。
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