ここらへんは、なんでもかんでも作用とつきますね。
目の前の川は佐用川。
生活の場として使われていたようで、それぞれの家から川に降りることができる通路が作られていました。
正面には利神城。
ここらへんは朝霧が多いそうで、天守閣が霧の中から浮かぶように見えることから雲突城という異名があったそうです。
もっとも、江戸時代に大きく大改装したときに、あまりにも立派な城だったために天守閣はすぐに破却されたということでした。
写真の位置からは分かりませんが、山の山頂から1つの城郭にした戦国時代の影響が色濃く残っていた城だったようです。