今回世話になりまくった真湯も、とりあえずは今シーズンは最後となる予定。
湯の熱さにもすっかりと慣れ、というかむしろ熱い湯の魅力に取り憑かれてしまったともいえるかもしれません。
今日もゆっくりとリセットさせないと思っています。
妻の肘は赤青黄色に広範囲に腫れあがっていて、足首も若干腫れ気味。
それでも、みるみる良くなってきているので、まさに真湯といえるでしょう。
連休中なので観光客が多め。
私たちのように、もはや湯治と言えるレベルの人はほとんどおらず、地元の日常のお風呂か、観光客の湯めぐりがほとんどなので回転は早いです。
ただ、中にはお風呂代節約で入りにくる家族連れの方もいます。
この日も、お父さんが小学生低学年くらいの男の子を連れてきました。
湯に触るのもやっとです。
それでもなんとか水を混ぜながら身体を洗って湯船に入ろうとするのですが、そこからがどうしてもダメ。
女湯の方にはお母さんと男の子の妹が入っているようですが、そちらも似たような感じ。
身体を洗い終わった頃を見計らって、湯船に水を入れるカランがあるので、「その近くに水を出して入ればいいよ」と声を掛けようとしていました。
ところが、4月30日に一緒になった、観光客と半ばケンカになったおじいさんが入ってきました。
私の姿を見てアッとした顔をしたので、私はやりにくい相手なのでしょう。
前回のように、服も脱がずに湯船の温度をチェックするようなことはしませんでしたが、湯船に水を入れるカランのすぐ横にどっかりと座り込んで身体を洗い始めます。
お父さんは「入ろう」という。
「ほら入れるよ」と入ってみせるお父さんでさえもが1分くらいが限界ですから、その姿を見て男の子は嫌がります。
女湯の方は、地元の方も良い方で「熱ければ水を入れちゃえばいいのよ~」なんて声が聞こえます。
妻もこういうときにの子供あしらいは慣れているので「入れた!入れた!」という声をきっかけに「頑張った!」「すご~い」などと賑やかな感じ。
それを聞いても、おじいさんは湯船に水を入れさせまいと死守しています。
自分が身体を洗うときには、そこのカランから桶に水を入れて使っており、男の子も恨めしそうに見ています。
そのうちに居たたまれなくなったようで、自分で少しカランを回して水をお風呂に入れ「ここに入りな」「少しだけ水を入れれば熱くなくなるから」というのですが、「でも出るときには必ず水を止めて」と何度も言うので子供は固まっています。
私は10分くらい湯に浸かったままで様子をうかがっていたのですが、おじいさんが出て行ったところを見計らって「水が入ったからちょっと温くなったよ」と声を掛けたらやっと湯に入りました。
湯に入ったら、妹に負けじと湯から出ないので、まわりの大人たちが心配になるほど。
あっという間に茹でダコのようになっていました。
私は、先日お話をしたばかりなので、真湯の地区のたいへんさには同情的になっているのも事実。
しかし、子供が居ても良いポジションを譲ろうともしない、水も入れようとしないこの方には失望しました。
申し訳ないけど、性根が意地悪なんでしょう。
なんでこんなフォローをしているんだろうと思いながら、そこにいる人たちに湯が温くなって大変なこと、困っていることなどを話しました。
話せば納得するんですよね。
なんで、ボイラーで沸かしていることを書かないのだろう?
書けばトラブルも減るだろうにと思います。
長々と書きましたが、野沢にはこんな人もいます。
でも、「入りに来たんだから自由に入ればいいよ」と、来た人たちが楽しんでくれれば良いと言ってくれる方も少なくありません。
外湯の運営はその地区ごとに委ねられているようで、入り口の十二神将の下にお賽銭入れはありますが、金銭的・肉体的負担があるのも事実でしょう。
他人の家のお風呂を使わせて頂いているという気持ちは大切だと思います。
少なくとも、ここは「我が家の風呂」ではないですし、お金を払った対価としての至れり尽くせりのスーパー銭湯でもないのですから。
少し前まで、湯船に水を入れるカランは2つあったそうです。
GW前の話だと思いますが、観光客が無責任に水を入れまくるので、残りの1つも取ってしまおうという話を複数の方から聞きました。
私たちは外の人間として、感謝と敬意を持って利用しようと思っています。
その気持ちと、少しのお賽銭でも、もっといい温泉になるのではないかと思います。