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実は龍馬伝第1回から登場していた望月亀弥太こと「水曜どうでしょう」のnoちゃんの音尾君退場回でした。
「水曜どうでしょう」は、北海道に旅行していたときにたまたま生で「サイコロ3」を見て以来のファンでして、社長の鈴井さんの映画や、ドラバラ鈴井の巣なども楽しく見ています。
音尾君は、戸次君とともにテレビの露出が増えていて嬉しいですね。
しかしまあ、今回はなんだかなぁ。
見所があったのは、やっぱり池田屋事件です。
しかし、土佐藩的に見た池田屋事件の主役の望月亀弥太の人物形成が、第1回から登場していた割には全く伝わってこないので、音尾君の熱演も全く伝わりません。
子役まで出ていたのですからもう少し掘り下げるかと思っていたのですが、途中からこのようになると諦めていました。
幕末はどうしても、戦国大河と比べてもより群像劇になるしか無いと思います。(篤姫は舞台が大奥だったので別)
そう考えると、比べる対象として最近では「新撰組!」が上げられるのかもしれません。
亀弥太は、立ち位置的には井上源三郎や藤堂平助くらいの位置でしょうか。
源さんの最終回なんか、近藤・土方・沖田不在でも全然泣けましたけどね。
鳥羽伏見の戦いまでに、源さんの人となりがしっかり描かれているからこそ、主役・準主役が不在でも視聴者を引きつけることができるんじゃないでしょうか。
「新撰組!」は視聴率がとれてはいなかったですが、メイン3人が不在でも、他の山南・斉藤・永倉・原田などの他の6名もしっかりと描かれていたので、龍馬伝のようにバタバタと龍馬が走り回って歴史的事象に関わる必要が無かったところが良かったと思います。
池田屋事件までに亀弥太をもう少し描いていたら、最後に龍馬に看取られていたとしてもこんなにシラケなかったんじゃないでしょうか。
前にも書きましたが、結果として尊皇攘夷という思想は失敗で、尊皇攘夷という思想に踊らされて亡くなった人も多いです…、というのは現代人の視点です。
もうちょっと細かく書くと、ソンノージョーイなんて一括りに言っていますが、縦軸に「攘夷」と「開国」、横軸に「尊皇」と「佐幕」があって…、というのも現代人の視点なわけで、当時の人たちにしては天皇も将軍も敬うのが当たり前だったり、外国人に対する拒絶感はあったとしても、それと同じくらい外国に対する憧れもあったわけです。
ですから、「攘夷」と「開国」、「尊皇」と「佐幕」を縦軸・横軸として幕末のすべての実在人物に当てはめるのは不可能。
記号のように「尊皇攘夷」や「開国」などと当てはめていくのは、ドラマとして見やすさを優先するのならアリだとは思いますが、龍馬との対極軸になる尊皇攘夷を信じていった人たちの当時の危機感や焦燥感や正義を描くことなく、「龍馬の言うとおりにしておけば良かった…」なんて言わせた日にはぶち壊しなわけですよ。
今回は、池田屋事件を除けば、伏線と複線の回収がメインの退屈な回だったと思います。(池田屋事件の描き方は大満足)
伏線(長次郎の確執など)は将来的にどうなるか分からないとしても、回収に関しては下手だったとしか言いようがありません。
主役がバタバタと走り回って歴史的事象に関わりまくる「黄金の日日方式」はうんざり。
だいたい「友達ぜよ」「仲間ぜよ」「海軍ぜよ」は聞き飽きたし、「海軍!海軍!」言う割には、龍馬が一番まじめに取り組んでいない。(笑)
言ってることと行動がチグハグだから、どんどんと龍馬さんは胡散臭く感じてしまいます。
しかし、確かに龍馬をやる場合にはこの時期の龍馬は停滞していて詰まらないかもしれない。
ネタも少ないし。
でも、そのときの龍馬の貴重な足跡である「北海道開拓」をスルーしてしまうのは残念としか言いようがない。
弥太郎とのねつ造エピソードを重ねたり、陰鬱な土佐勤王党に時間をかけるのなら、この時代にしては革新的は龍馬のアイディアは生かして欲しかったと思います。