ちょっと前になりますが、今年の流行語大賞の候補20が発表されました。
残念ながら、龍馬伝からは無し。
番外に「~ぜよ」があったように思います。
別に流行語大賞の中に入ればよいと言うわけではないのですが、龍馬伝のセリフの中には心に残る言葉が無かったというのも事実でしょう。
個人的には、東洋さまの「天才じゃき」でしたね。(笑)
あとは、おそらく最終回に生かされるのでしょうが、八平さんの「己の命を使い切る」くらいでしょうか。
ただ、惜しいことに2人とも第1部で退場。
番組的には「みんなが笑って暮らせる国」や「憎しみからは何も生まれない」などを押したかったのでしょうが、あまりにも現実離れしていて劇中の世界観に入れなかったとしか言いようがありません。
人にモノを伝えるためには、まず自分がソレを理解することが必要です。
自分の中に伝えようとすることの世界観が作られていないと、どんなに演出や美術で飾ったところで曖昧模糊としてしまうものです。
逆に、世界観さえ作られてしまえば、多少違っていても伝わってくるものです。
龍馬伝が、今ひとつ入り込めなかった一つの原因として、これはチーフプロデューサーなのか脚本家なのか演出家なのかは分かりませんが、この世界観がしっかりとして無いことが敗因のように感じます。
幕末というたいへん難しい世界を描くのに、アイディアだけで乗り切ろうとしたのではないかと感じてなりません。
まあ、ひと言で言ってしまえば、番組スタッフ上層部の勉強不足と断じざるえません。
そのすべての原因が原作無しではないかと感じます。
過去の大河にも、原作がないオリジナルというものはありますが、成功している作品のほとんどは世界観を作り出すことができる力のある脚本家が担当している場合が多いような気がします。
去年のように、原作があっても途中から原作を投げ捨ててしまって好き勝手にやってしまう例外もありますが。(笑)
来年・再来年もオリジナルということですが、不安を感じてしまいます。
で、今回の放送ですが・・・
ちっちぇなぁ~
という感想しか浮かびません。
今回はいろいろとジャマ。
まず、何がジャマって武田鉄矢。
名バイプレーヤーの武田鉄矢をもっても、今回のこの酷さは覆い隠すことができないようです。
1回の中に「おいらが許さねぇ」って2回も言わせるのは難しいと思うんですよ。
しかも、出てくる言葉は中身のない龍馬を誉めるセリフばかり。
2回に分けて出てきて、2回とも誉めちぎるのはやり過ぎ。
セリフが酷い。
演出が酷い。
2回出てきたといえば、ええじゃないか軍団と3倍増された新選組。
これもジャマくさかった。
新選組の近藤勇が先頭に立って巡回していることや、元気ハツラツ沖田総司とか、土方歳三を含めた三役揃い踏みというあたりも嘘くさくて嘘くさくて辟易してしまいます。
ただ、何よりも雑さを感じてしまうのが間合いの取り方ですね。
1回目の対龍馬、2回目の対勝麟太郎とも、のうのうと剣の間合いに入り込んでしまっていることに、初期の龍馬vs新選組や龍馬vs象二郎などのピリピリした痺れる間合いでリアリティーを出していたスタッフと同じとは思えないところが泣けます。
近藤・土方・沖田が斬る気がないのが滲み出てしまって残念。
歴史を変えるくらいの意気込みで殺陣に挑んで欲しいものです。
龍馬も勝も斬ってやるという殺気がない。
登場したときには、心の底から痺れる新選組だったのに、残念な扱いに成り果てました。
それから、ええじゃないか軍団。
アバンだけでいいでしょ。
「勝」に「新選組」に「ええじゃないか」のジャマの三重苦!
暗殺直前に龍馬と会う勝も、さらに剣を振るう新選組も、それがええじゃないかのど真ん中であることも、何一つ必要なく、あり得ない出来事を二重三重に重ねることの意味が分からない。
あと、龍馬伝の中で本当に気に入らないのが、大衆の中で重要な話をやること。
長州藩士の中で、桂小五郎に薩長同盟の提案をすることを筆頭に、マヌケな場面に見えてしょうがない。
ここでする話か?と思ってしまうと醒めてしまいます。
次のジャマは永井玄蕃守。
私の過去の記事で、永井尚志と紹介した人で、交渉力に優れていることが買われ、旗本から大目付→若年寄格→若年寄と異例の出世をした、崩壊していく幕府を支えていた人の1人です。
大政奉還の頃は、若年寄格です。
詳細は伝わっていないのですが、暗殺直前の龍馬は永井尚志邸に入り浸っていて、暗殺前日にも永井邸に行っていることが分かっています。
そのことから、龍馬の後ろ盾とも黒幕とも言われている人であり、幕末の重要な人物の1人でもあります。
いきなりの石橋蓮司!
この人もいい役者さんになったとおもうのですが、いきなり出てきて、いきなりの大政奉還のキーパーソン扱い。
そして、あっという間に龍馬教の支持者・・・。
永井尚志の扱いなんてこんなものといえばこんなものなんですが、大政奉還のキーパーソン扱いにするのなら、もう少し前から出していて、龍馬との交流を描いておけば・・・というのは、この龍馬伝に望むのは無理なんでしょうね。
さすがに、大政奉還のこの回は龍馬のやることがない。
前回は、山内容堂との対面を捏造したものの、まさか徳川慶喜と対面させるわけにも行かないからの永井尚志なんでしょうが、ここらへんにも計画性のなさを感じます。
さすがの蓮司も、このむちゃぶりには参ったことでしょう。
さて、2回出てきたといえば、慶喜公が大政奉還の件の諮問を打ち切るのも2回。(二条城の打ち切りは事実です)
しかも、後藤象二郎の胸ぐらを掴む慶喜ってどうよ?
前々から慶喜の描き方には疑問がありましたが、難しいことをせずに単純化・記号化するのが手法なので仕方ないと思っていましたが、あれは酷すぎる。
それから、所詮脇役とはいえ、慶喜がなぜ大政奉還を決断するのかという心がほとんど描かれていないところに、歴史のダイナミックさが感じられません。
象二郎の説得も酷い。
「外国からの侵略を防ぐ」とか「薩長との戦を防ぐ」とか。
いろは丸号事件でイギリスの力を借りたのは誰?
薩土盟約を結んだのは誰?
史実では、この時期には薩土盟約は方針の違いから解消されているのですが、龍馬伝の中では中岡慎太郎が「約束を守って兵を出さなきゃいけない」と言っていることから解消されていないのでしょう。
それなのに、盟友関係にある薩摩藩筆頭家老小松帯刀の横で言うのってどうなの?
さらに言うのなら、史実では大政奉還の重要性を訴えて論陣を張るのは小松帯刀。
薩摩の扱いは酷すぎます。
そして、今回最大のガッカリが次のセリフ。
「先生、ひとつゆうてもいいですろうか。」
「そんなことはどうでもいいですろう」
「大政奉還がなったら、帝をてっぺんに頂き、あとは、上も下ものうなるのじゃき」
「役目を失のうてしもうた二万人の人らあも、仕事をしたらええ」
「商人や職人や百姓らあと同じように、自分の食い扶持を自分で稼いだらええがじゃき」
江戸時代をある一方から見れば、確かに武士という特権階級を農民・商人・職人たちが支えたともいえる時代です。
武士の本分とは戦をすることであり、大阪夏の陣・島原の乱以降、ただひたすら戦を待ち続けて代々続いていた階級という見方ができます。
実際、役のない武士などは、朝起きて武芸&学問、お城に登城して1日戦を待ち、夕方下城という暮らしだったようです。
でも、そんな人たちばかりなら、世界に類を見ない長期に渡る平和な時代を築くことはできなかったはず。
武士というのは言い換えれば公務員に当たるわけで、不祥事があればクビどころか切腹&お家断絶というたいへん厳しい処罰が待っています。
しかも、細かな話をしますと、例えば鬼平の部下たちというのは、鬼平の父の代も祖父の代も部下であり、子の代、孫の代も部下になります。
戦になったときの組織がそのまま流用されているからです。
時代は家長制度ですから、家長の失態がそのまま一族・郎党の滅亡にも繋がるわけで、無能な跡継ぎは早々にリストラされ、優秀な人材をスカウトして養子・跡継ぎにするという例も多いのです。
龍馬伝の描かれ方よりも遙かにシビアといえるでしょう。
勝は2万人と言いましたが、それは旗本の数にしては若干多すぎ。
しかし、旗本に御家人や郎党などを含めると8万人(そこから旗本八万騎)になると言われています。
細かい計算は面倒くさいからやりませんが、それぞれの藩の武士たちもリストラされることを考えたら、その何倍もの人たちも職にあぶれることになるでしょう。
書いていくとキリがないので止めますが、龍馬が言うほど単純な話じゃない!
そして無視できる話じゃない!
さらには、前回書きましたが、「大政奉還=廃藩置県・市民平等」ではない。
そこらへんをゴチャゴチャさせたままに混同して描いているから変なことになる。
意図して封建社会を悪として描いているのなら、龍馬伝の単純化された世界ならもう少し描きようもあると思うし、勉強不足で本当に区別がついていない気もするので何とも言えませんが、ラス前にして余計なことを…という気分です。
龍馬伝の世界観の矮小さが露呈したセリフだと思います。
さて、少しくらいは良いことも書きましょうか。(苦笑)
永井尚志の家紋が正確だったのは微妙に嬉しかったです。
唐梨紋の中の「永井梨切口」という十文字に見える家紋です。
切り口が、梨の切り口に見える永井氏独占の特徴ある紋です。
気になる人は、再放送でチェックしてみてください。
それともう一つ。
大政奉還前夜の藤吉との場面だけはしみじみとして良かったです。
龍馬が主役の大河で海援隊が描かれていないのが残念で、藤吉よりも海援隊じゃないかとは思うのですが(笑)、それでも、あまり描かれることの少なかった藤吉の人物描写をしてくれているのは嬉しいですね。
龍馬伝は、死ぬ前は優しいので、そのパターンなんですが、それでも良かったです。
さて、いよいよ次回は最終回。
世間の嫌われ者と描かれる龍馬。
しかもミステリーにもなっちゃいない。
龍馬の暗殺犯の1人(あえてこう書く)の今井信郎を“誇り高きラストサムライ”と描くことにどんな需要があるのか分かりませんし、このスタッフは龍馬のことが好きなのかと疑っています。
龍馬好きから言わせれば、今井信郎なんかケッ!って気分なんですけど。