古今東西、歴史というのは為政者にとっての重要な学問でした。
竹に記述していた頃はもちろん、紙が生産されるようになっても歴史書の量は少なく、作業はすべてが手作業で写していたため、群雄割拠していた戦国時代なども一部の豊かな戦国大名家のみが所有できたものです。
後継者たちは、過去の人物から失敗や成功を学び、それを宣伝することによって人心掌握にも使われていたものです。
何度も書きますが、大河ドラマには過去からおかしな話はありました。
しかし、ここ数年は「テレビの都合」が優先され、「金」もなく、「脚本家や演出家」も人材が尽きたのでしょう。
もはや、テレビでの歴史は、過去の人物からの失敗や成功を学べるものではなく、その人物の一面だけを捉えて、そこで表現したいことを都合良く流してるに過ぎない。
お江の生き霊や信長の霊などは笑い話で笑い飛ばせるけど、江と家康の伊賀越え「愛の逃避行」とか、森蘭丸が明智光秀に手紙を書いていたとかは笑えない。
ましてや、江が捕らえられて光秀と会っちゃって、しかも江に本音を語り、改心。
不快この上なし。
そろそろ本気で、大河ドラマは
フィクションです
と入れるべきなんじゃないだろうか
不快その2
毎回毎回「わからぬ」「わからん」。
江と光秀が会って、江恒例のインタビューをしても、本能寺を起こした原因を「わかりません」はふざけすぎ。
というか、明智光秀に失礼。
理由らしきことをいくつか述べていましたが、それで人の心は複雑であると表現したつもりでも、最後が「わかりません」じゃダメだろ。
結局は明智が
キレちゃった
としか伝わらない。
というか、脚本家が
歴史解釈を投げた
としか感じない。
まあ、伝えたいのは江のセリフなんでしょう。
「平和を求めた信長を、明智は武力を使って砕いた」
( ̄△ ̄;)
なんてユルユルな戦国なんだよ。
どこかの誰かが、こんな事を言わせておけば喜ぶのかも知れないと思って書いているのだろうけど、おかしいにも程がある。
武力のために武力を使った戦国大名っているのか?
稀に戦好きの武将もいるけれど、所詮は人と物資と信頼が必要だから、どれかが尽きて潰れてるでしょ。
平和ボケの日本では理解できないことなのかも知れないけど、現代社会でも「国権としての武力行使」は存在している。
国を保つ上での一つの方法として、戦国時代も現代も武力行使があるわけで、それを引っこ抜いちゃったらどこか異空間の話だって。
平和万歳を垂れ流すために、「わからぬ」で戦をした挙げ句に死んでいったことにされた、バカ扱いの明智光秀が無惨。
まして、ドラマ的にも2万もの軍勢が光秀に付いていったのにもかかわらず、「ワシには誰も付いてこない」とかほざいて、死ぬ間際には10歳未満の小娘を思って死んでいったことにされた明智光秀は見ていて苦痛。
もう細かいところはいいかなって感じです。
それでも少し書きましょう。
元SP神尾佑の斎藤利三は、奮闘していました。
のちのちに春日局との出会いの時にあの憎々しげなシーンが挿入されるんでしょう。
明智光秀はお江教に入信して改心して死んでいきましたが、その分、斎藤利三は真っ黒け。
お江との心の交流など描かれなかったので、このまま死んでいくのでしょう。
ブラックな役がなかなか似合っていて、これから増えるかもしれませんね。
真っ黒けといえば、秀吉も立ち位置的にブラック。
グチたり、ワガママだったり、口が軽かったり・・・という演技が続いていましたが、あれは悪役秀吉という記号を意味していたようです。
そのうち、また江ちゃんインタビュー(予想では朝鮮出兵前)を経て改心し、江のことを思いながら臨終するのでしょう。(笑)
最後に、家康との伊賀越え「愛の逃避行」。
ちなみに、史実では34名の重役と小姓+茶屋四郎次郎と向かうわけです。
それだっていうのに、先週の野武士の襲撃で2名惨殺。
今週も江ちゃんの護衛に5名も派遣して同じくあっさり惨殺。
イラッと来るのが、そのくせしてお江の侍女たちはお江と同じタイミングに犠牲者もなく全員無事で戻ってくる。
戦国を舞台としていながら、男なんかアリンコのようにプチプチ殺す割に、女は殺さない。
死んでいった役者たちに役名はないけれど、無事に難事を切り抜けて生き残った、のちの徳川家・徳川政権の中枢を担うであろう人たちを無理に殺し、あり得ないエピソードで犠牲者が出てもおかしくないような状況だったのに女が無事っていうのはおかしいだろ。
ここらへんに、脚本家の思考といえばいいのか、思想が見えてしまう。
演出も雑。
音楽も変。
捏造にしても、もう少し上手に騙して欲しいものだと思います。
もう一つ。
ここ数年、大河は予告詐欺を繰り返していますが、今週は・・・予告も変。