学ぶ権利の保障、東電に要求 福島の高校教職員組合
福島第1原発事故の影響で県立高校8校の生徒が他校で授業を受ける「サテライト方式」を強いられているのは問題だとして、福島県立高等学校教職員組合などは25日、東京電力を訪れ、学ぶ権利の保障を申し入れた。
組合は「新入生は一度も母校に通えていない。十分な指導を受ける時間がないまま大学受験に臨む3年生には不安が渦巻いている」として、避難所からの通学費の補償や事故原因の説明を求める要求書を提出した。
記者会見した杉内清吉書記長は「子どもたちは不便を強いられ、とても困っている」と説明。
県立小高工業高校の大貫昭子教諭は、他校の体育館を仕切って6クラスが同時に授業をしている状況を報告し「声が響いて集中できない。生徒は地震が怖くても、放射線量が高くても自分の学校で学びたいと願っている」と訴えた。
東電福島原子力被災者支援対策本部の橘田昌哉部長は「実態を重く受け止めたい。国の賠償制度にのっとって対応したい」と話している
2011/05/25 19:26
いかにも教師らしいアイディアでの攻撃だけれども、「学ぶ権利」について、世間と教育者のあいだには大きな隔たりがあるんじゃないかと思います。
ちなみに、マスコミなどで流れないだけで「学ぶ権利」に絡む裁判は全国に五万とあると言えるでしょう。
例えば、世間の人たちは服装の乱れた生徒やタバコ・バイク通学・薬物の使用などを見て、「学校で何とかしろ」「停学にしろ」「退学にしろ」などと抗議をしてきます。
学校としては「校則」に基づいて粛々と処罰をして、自宅待機や退学などの処置を執るわけですが「学ぶ権利」を楯に裁判を行われるといろいろと厳しいことになる。
停学・退学で1人の人生が大きく変わるわけですし、それに教師には「手放したら負け」みたいな意識もある。
そう簡単には「なんとか」できないのは「学ぶ権利」先に「未来」があるからでもあるのです。
最近では「教育」の範囲内で指導しきれなくなって「事件」にするのは、「学ぶ権利」主張を封じるためでもあるようです。
まあ、教師には「学ぶ権利」というのは毎日降りかかる重要な課題なんですが、世間の人はそんなに難しいものとは思っていませんよね。
だから、タダの難癖だと思って「国の賠償制度にのっとって対応したい」なんて、やる気のない対応になっている。
父兄や子供の強力なバックアップがあれば、強力な力になると思うのですが…。
主張は間違えていないと思います。
学校行事一つを行うのでも「学校が落ち着かない」と、教員間で論争になるくらいなのに、天災の地震はともかく、原発災害や生活環境の変化など、とても学習環境が整っているとは言えないでしょう。
何度も言いますが、集団疎開が一番だと思います。
経験も勉強とは言いますが、「戦争」と「原発事故」は経験も勉強もムリにしなくていいことです。
子供に安心した学習環境を!