ベント不成功なら数シーベルト=保安院が試算-1号機、事故翌日に・福島第1
東京電力福島第1原発事故で、経済産業省原子力安全・保安院は13日、1号機の格納容器内の圧力を下げる「ベント」操作が難航していた3月12日午後1時の時点で、ベントが成功しないと約10時間後に格納容器が壊れ、敷地内で数シーベルトの極めて多い被ばくをする可能性があると試算した文書を公表した。
保安院の森山善範原子力災害対策監は記者会見で、「専門家が過去の経験を踏まえて出した数字で、具体的に解析したものではない」と説明。実際には同日午後2時半ごろ、格納容器の圧力降下が確認されている。
保安院によると、文書はA4用紙1枚で、3月12日午後1時ごろ、保安院の職員と原子力安全基盤機構(JNES)の専門家が作成した。首相官邸にいた保安院の平岡英治次長に渡されたが、誰の指示で作成し、どう活用されたかは不明という。
経産省は同12日午前6時50分、東電に1号機のベントを実施するよう命じたが、弁の動力が確保できず難航。午後1時の時点で、格納容器の圧力は設計時上限の0.44メガパスカルを上回る0.75メガパスカルに達していた。
文書は、ベントができず圧力の上昇が続くと仮定。約10時間後の同日午後11時ごろに格納容器圧力が設計時上限の3倍に達して破損し、大量の放射性物質が放出されると予測した。この際、敷地境界での被ばく量は「数シーベルト以上」と想定。気象条件によっては「発電所から3~5キロの範囲で著しい公衆被ばくの恐れがある」としていた。
(2011/09/13-22:49)
ブログに原発を書き始めた頃に、震災直後に電源の確保の必要だったと書きました。
現実には、津波によって構内はグチャグチャになっていてかなり困難な作業だったことは分かりました。
しかし、ほぼ同じような状況で福島第2原発や東海などは、車のバッテリーなどを掻き集めてクリアーしたことなどを考えると、全く不可能ではなかったのではないかと、今でも思っています。
陸上による電源車の移動や、到着したところでコードの長さの不足や口金の違いなど愚かとしか言いようのないミスが続くことによって最悪の事態を招いてしまったわけですが、それらも含めて、菅前首相が自衛隊の援軍を頼めばクリアーできることは多かったのではないかと今でも思っています。
まあ、私には権威なんかありませんし、連絡を取った方も電源喪失に対してそんなに重要なことと思っていなかったそうで、仕方がないのでしょう。
原子炉のベント機能については、行ったことを肯定的に今回は発表しています。
しかし、よく考えてみましょう。
封じ込めが必要な原子炉に排出口をつける必要があるのでしょうか?
すなわち、これは格納容器の欠陥を意味しています。
マークⅠ型の炉が小さく、重大事故の場合に圧力が高まりすぎてしまうことが後に発覚し、設計者がベント機能をつけたのは最近ではすっかり知れ渡った話だと思います。
でも、興味の無かった人たちにとっては、311の前は全く知らなかった話でしょうね。
封じ込めなければいけない炉に穴を開けるという二重の欠陥を作ってしまったと見るべきです。
つまり、ふくいち1号機と同型の炉は全て同じことが起こりやすいことを意味します。
1号機と3号機との時差は、つまりは炉の大きさの違いということもあったのです。
また、これは私も知らなかったのですが、ベント機能にフィルターが付いてないとはマヌケな話。
そこまで原子炉を過信していたのかと唖然としてしまいます。
保安院の発表は、まるでベントを行うことが必要であったかのようにされています。
しかし、そもそも電源を喪失した場合にベントを行わなければならない構造自体が欠陥な訳で、ベントを行う前に、全てのバックアップが機能しなかったことに問題があります。
当たり前にように、ベントができたから重大事に至らなかったという話ではない。
欠陥がベントによっても解決しないという事実が明らかになったのですから、同型は普通に廃炉を急ぐべきです。