大震災半年:福島第1原発事故の半年 収束いまだ見えず
3基の原子炉が同時にメルトダウン(炉心溶融)するという未曽有の事態に陥った東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)。世界最悪「レベル7」の事故は、半年を経ても放射性物質の放出が止まらず、現場では被ばくの危険と隣り合わせの作業が続く。終わりが見えない原発事故の半年を振り返った。
◇水との闘い、壁に
半年の収束作業は「水との闘い」の連続だった。今なお、最大の課題となっている。
水は、核燃料を冷やして再臨界を防ぐと同時に、放射性物質を閉じ込める作用もある。1~3号機では全電源喪失から冷却水の供給が止まり、原子炉内が「空だき」になった。燃料棒と炉水の化学反応で水素が発生、水素爆発が起き、原子炉建屋が壊れた。
事故当初は、核燃料を冷やすため、あらゆる手段で原子炉や使用済み核燃料プールに水が注ぎ込まれた。自衛隊ヘリ、消防の放水車、コンクリートポンプ車などがかき集められ、海水を注入し続けた。一方でこの水は放射性汚染水となって、格納容器の損傷部分、配管などから漏れ出した。
3月末、1~3号機の原子炉建屋から海につながるトンネル状の穴で、放射性汚染水が見つかった。原子炉内の水の約4万倍という高濃度。応急処置により流出は止めたが、原子炉への注水を続ける限り汚染水は増え続け、あふれることが確実になった。「(高濃度汚染水に対応する)知識を持ち合わせていない」。内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長がこう漏らすなど、想定外の事態へのもろさが露呈した。
判明しているだけで、海への流出は2回。経済産業省原子力安全・保安院によると、1度目は4月1~6日に2号機から520立方メートル、2度目は5月10~11日に3号機から250立方メートル。流出を防ぐため、敷地内のタンクを総動員して汚染水を移動させる「玉突き」作業に追われた。環境への影響が比較的少ない低濃度の汚染水約1万立方メートルを海に放出、事故と関係ない建物もタンクとして代用したほか、1万立方メートル収容できる人工浮き島「メガフロート」を買い取り、原発まで運んだ。
一方、4月に東電が発表した事故収束のための工程表には、格納容器を水で満たして炉心を冷やす「冠水(水棺)」計画が盛り込まれた。冷却の切り札と頼んだこの手法も、予定水位になかなか達せず、5月の解析で格納容器に穴が開いていることが判明。計画は中止に追い込まれた。汚染水はさらに増え、8月末時点で、1~4号機の原子炉建屋・タービン建屋内に約9万立方メートル、その他も含めると約11万3000立方メートル(ドラム缶換算で約57万本)に上る。
代替手段として、汚染水から放射性物質を取り除き、原子炉の冷却に再利用する「循環注水冷却」の構築が新たな目標となった。この手法は冷却しながら汚染水をこれ以上増やさない利点がある。
循環注水冷却のための汚染水浄化システムは、米キュリオン社、仏アレバ社など複数の装置を組み合わせたもので、6月に本格稼働した。東芝などによる除染装置「サリー」を追加するなど処理能力向上を図るが、装置の一時停止や、総延長4キロに及ぶホースからの水漏れなど小さなトラブルは8月中旬までに32件発生。システムの安定運転は、原発から20~30キロ圏内の「緊急時避難準備区域」の解除要件にもなっているが、予断を許さない状態が続く。
榎田洋一名古屋大教授(原子力化学工学)は「事故後の汚染水に対する備えや想像力が貧困だったことを反省しなければならない。除染システムの稼働率の見込みの甘さは、原子力技術全体への信頼感を失わせてしまった」と指摘する。
◇作業員、被ばくと疲労
「誰も経験したことがないような現場。建屋上部のがれきが落ちてこないかと、怖さと疲労を常に感じていた」。収束作業に当たる東電社員(44)は4月以降、約1週間の作業を5回経験し、計23ミリシーベルト被ばくした。一般人の人工被ばくの許容限度(年間1ミリシーベルト)に換算して23年分に当たる。収束作業に当たる作業員は東電、協力企業合わせて1万2000人を超える。被ばくに加え、被ばくを防ぐための重装備と暑さが熱中症を招くなど、作業環境は過酷を極める。
水素爆発で放出された大量の放射性物質は、被ばくを加速させた。厚生労働省は今回の事故に限り、作業員の累積被ばく限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたが、その限度も超えた6人(最大は678ミリシーベルト)を含め、100ミリシーベルト超の103人はすべて3月中に作業に当たっていた。
放出がピークを過ぎた4月以降も、がれきの撤去などが進むにつれ、深刻な汚染が新たに分かってきている。8月には1、2号機原子炉建屋の西側で、1時間あたり10シーベルト(1万ミリシーベルト)超という極めて高い線量を計測した。汚染水処理システムのメンテナンス中に不注意から被ばくする例が相次ぐなど、放射線は依然、大きな障害だ。
東電がまとめた被ばく量の現状=円グラフ=によると、作業員全体の89%は20ミリシーベルト以下だが、協力企業の作業員の中には、事故初期の手書きの名簿の記入が不正確だったため連絡が取れず、把握できていない人が88人いる。
6月の工程表改定では「作業員の生活、職場の環境改善」が追加された。東電は被ばく管理に加えて、生活環境の改善を進めている。
当初、作業員の休憩所は、津波被害から逃れた免震重要棟に限られた。シャワーもなく、食事はビスケットや缶詰などの「非常食」が中心。社員は「汗のにおいが充満し照明もついたまま。疲れていても満足に眠れなかった」と話す。
8月までに、シャワーを備えた計1200人分の休憩所を16カ所に設置。原発の近くに仮設の寮も建設した。しかし猛暑の中で、延べ41人が熱中症の症状を訴えた。
◇放射性物質の放出続く 来年1月中旬の「冷温停止」目標
東電は、事故の収束スケジュールを示した工程表=キーワード<2>=を4月に発表。遅くとも来年1月中旬までに、原子炉内の温度が100度未満となる「冷温停止」状態を目指すとともに、放射性物質放出をゼロに近づけることを目標にした。
工程表は「放射線量が着実に減少傾向になっている」ことを目指すステップ1(4~7月)▽「放射性物質の放出が管理され、大幅に抑えられている」が目標のステップ2(7月から3~6カ月後)▽本格的な廃炉作業の準備期間となる「中期的課題」(ステップ2終了から3年程度)--の3段階で、現在はステップ2の途中段階に当たる。
東電は4月以降、工程表の内容を毎月見直してきた。当初盛り込まれた「冠水(水棺)」は中止、7月の改定では「格納容器の補修作業」も断念した。ロボットなどの調査により、建屋内の放射線量が数百~1000ミリシーベルトと高いため、補修作業は危険と判断した。
放射性物質の放出は現在も続いている。東電は、敷地境界で測定された放射線量をすべて原子炉建屋から出た放射性物質によるものと仮定して試算した結果、7月下旬から約2週間の放出量は最大で毎時約2億ベクレルとの解析結果を公表。「事故直後(3月15日)の放出量の1000万分の1」と、減少傾向にあることを強調した。しかし原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監は「まだまだ粗い試算で信頼性に欠ける」と指摘。実態を踏まえた調査をやり直すよう求めている。
東電は、原子炉を冷温停止にできれば、放射性物質の放出が抑制できると考えており、ステップ2終了までに、敷地境界での放射線量を「年間1ミリシーベルト以下」に下げることを目指している。放出を少しでも抑えるため、損傷が激しい1号機については、ステップ2の期間内に建屋をすっぽり覆うカバーを設置する計画(3、4号機は3年後めど)だ。
さらに、東電は、汚染水が地下水を汚染することを防ぐため、遮水壁を設置する方針だ。
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◆工程表に盛り込んだ主な課題◆
<ステップ2>(7月から3~6カ月後)
・汚染水浄化システムの安定的な運転
・浄化システム運転で出る放射性汚泥などの保管
・水素爆発を予防するための窒素注入の継続
・遮水壁の年内着工
・1号機原子炉建屋カバーの設置
・放射線管理、医療体制の改善
・作業要員の計画的育成と配置の実施
<中期的課題>(ステップ2以降3年程度)
・本格的な汚染水浄化システムの設置
・放射性汚泥など高レベル廃棄物の処理研究
・遮水壁の完成
・3、4号機の建屋カバーの設置
毎日新聞 2011年9月9日 東京朝刊