東日本大震災:おかえり、小晴 重機に乗り長女を捜し続けた母--宮城・石巻の大川小
東日本大震災の津波で多くの児童が流された宮城県石巻市立大川小学校から数キロ離れた海で、遺体の一部が見つかりDNA鑑定の結果、中学校教諭の平塚真一郎さん(45)と妻なおみさん(37)の長女で6年生だった小晴さん(当時12歳)と22日確認された。「せめて一部だけでもと思っていたら、本当にそうでした。それでも帰ってきてくれてうれしい」。捜索のため6月に重機の資格を取った、なおみさん。愛娘が帰ってきた今も重機を操り、なお不明の児童4人の捜索に加わる。最後の一人が見つかるまで--。
遺体が見つかったのは名振(なぶり)湾の漁港付近。地元漁師が見つけ8月9日、夫婦2人で確認に出向いた。津波に流され、たどりついたのか。「へそを見れば分かる」と思っていたが、損傷は激しい。ただ、重ね着していた下着は見覚えがあった。震災当日はまだ寒かったからだ。「小晴が、私たちが分かる形で帰ってきてくれた」と夫婦は確信した。遺体は翌日に一晩だけ帰宅、11日に火葬に付した。
正式確認に真一郎さんは「ようやく葬儀を出して、みんなの元に送ってやれる」とほっとした様子で話す。なおみさんは「他の子たちの捜索で、できることを続けます」と力を込めた。
全児童108人のうち、小晴さんを含め70人が亡くなり今も4人が行方不明の同小。震災直後は冠水し近づくことさえできなかった。水が引いてからは周辺で、他の不明児童の保護者らと土を掘り返すなどしてきた。真一郎さんが仕事に復帰後、なおみさんは6月下旬に教習所に通って重機の資格を取得。石巻市から借りた重機を他の保護者とともに操縦し、手がかりを求め地面を掘り返した。
同小に入学した長男冬真君(6)、保育所に入り言葉が増えた次女小瑛(さえ)ちゃん(2)は成長していく。その喜びをかみしめる間もなく、小晴さんが見つからない焦りが募る。お盆が近づくころの「帰宅」だった。
震災半年の今月11日。警視庁の応援部隊が引き揚げ警察の捜索態勢が縮小された。長靴姿のなおみさんは、今も帰らぬ4人の児童を思い「これからどうなるの」と大粒の涙で部隊を見送ったが、その後再び重機に乗った。
小晴さんが帰ってくるまで「ずっと見つからず、取り残されるんじゃないか」と不安だった。気遣って足を運んでくれた他の保護者への感謝が、なおみさんを突き動かす。捜索で精いっぱいな保護者に代わり「まだ捜す場所はある」と捜索の継続を訴えている。【百武信幸】
毎日新聞 2011年9月23日 東京朝刊
お母さんの執念が実って、本当に良かったと思います。
うちの親戚の子供も一つ間違えば…と思うと、気になるニュースでした。
田舎からの情報は、いまだにポツポツと入ってきますが、なんというか、ここには書きづらい話が多いです。
コメと野菜は「食うな」と言われてますが…。
そのうちに書きますが、ひと言で「復興」といっても、人それぞれなのだと思います。