福島第1、作業員たちは今 放射線と対峙、自ら突入…2000人の闘い
2011.9.20 08:35
「原発は爆発させねえ」
東京電力福島第1原発の安定化を目指す作業員の闘いは7カ月目に突入した。いまだに高い放射線量を放つがれきに突入する「特攻隊」、逃げ出す作業員を統率する監督。「原発は絶対に爆発させねえから」。家族と離れ、全国から集まった数千人の男たちは日本の安全を自らの肩に背負って、今日も現場に向かう。(荒船清太)
◇
福島第1原発周辺にあったひとつのがれきが、毎時10ミリシーベルト以上の放射線量を放出していた。5分間で一般人の年間許容量を突破する。無人の重機は使えない場所。待機所で沈黙を破ったのは若手の男性作業員だった。
「俺、1週間で切り上げるんで行きます」
現場では敬意を込めて彼らのことを「特攻隊」と呼ぶ。30年以上原発関連の仕事に携わり、いまも福島第1原発で汗を流すベテラン作業員は「彼みたいな若者はたくさんいるよ」と明かす。
原発事故を受け、政府は作業員の被曝(ひばく)線量の基準を年間250ミリシーベルトに引き上げたが、多くの会社では年間50ミリシーベルトが被曝線量の基準。若手作業員は滞在を短くすることで、被曝線量をクリアすることに決め、無事にがれきを撤去した。
原発周辺には北海道から沖縄まで、全国の建設会社から2千人が集まる。1カ月で規定線量を超える作業員も多く、「いくら呼んでも人が足りない」(建設業関係者)状況に現場は悩まされる。警戒区域内での作業は、弁当運びでも1日2万円。放射線と対峙(たいじ)する作業員には数万円単位で危険手当が付くという。
現場には、監督が「職人さん」と呼ぶ下請け会社がチームを組んで入る。ベテラン作業員の部署では1回1時間半で8交代。「みんな会社を背負って士気が高い」(ベテラン作業員)
だが、見えない放射能の恐怖はしばしば作業員を悩ませる。
ある夏の暑い日。第1原発周辺に、後ろのトレーラー部分が外れたまま走り回る大型トラックがあった。恐怖に襲われた作業員が逃げ出したのだ。作業は2時間中断した。
「何考えてんだ!」。現場監督は怒鳴ってはみたものの、すぐに「もう、来んな」と静かに諭して帰らせたという。ベテラン作業員は「放射能が怖いのはしようがない。叱ってもあまり意味ないと思ったんだ」と推し量る。
◇
内部被曝、敵は暑さ 「誰かが行かなきゃいけねえんだ」
「国のためじゃねえ。自分と家族のため」
そう語るベテラン作業員は警戒区域内の町出身。一時帰宅した自宅で、目の高さまで生えた草と散乱していた牛の糞(ふん)を片付けた。家の物は一つも持ち帰らなかった。「いつか帰ってくる。それまで最後のご奉公だ」
原発作業員の敵は放射能だけではない。毎日続く異常な暑さもそうだ。6月に熱中症が相次ぎ、現場に支給された保冷剤入りの「凍るベスト」も、すぐにフニャフニャになる。家族や同僚の心配を振り切って神奈川県から来ているという男性作業員(42)は「終わるたびにパンツはびしょびしょ。はかないやつもいる」と話す。手袋を外すと、指の部分に汗がたまっている。男性の現場では1時間仕事、1時間休憩を3回繰り返す。そのたびに除染し、防護服を着替える。
特に暑いのはマスクだという。フィルターがついて呼吸しにくい。「つらくてマスクをずらす作業員が後を絶たない」と別の作業員。内部被曝(ひばく)する作業員は、こうしてマスクをはずしてしまった場合が多いという。
「鏡を見てマスク確認! 装備確認!」。福島第1原発に向かう作業員の拠点である福島県広野町の「Jヴィレッジ」の出入り口には大きな鏡が据え付けられている。作業を終え、白いTシャツ姿で歩く作業員がいれば、白い防護服を着て廊下のサッカー選手の写真を眺めながら、次の作業に備える作業員もいる。
新たに設けられた売店は長期滞在に備えてシャンプー、せっけんから映画のDVDまで陳列。500ミリリットルのペットボトル1本120円と、警戒区域外より割安だ。
外の階段に囲まれた広場に並んでいるのは8月にできたばかりの東京電力の社員寮。2階建てプレハブ住宅だ。奥にそびえるスコアボードを見て初めて、そこがかつてサッカースタジアムの芝生だったと分かる。
「警戒区域内の寮には今もサッカー選手の車が放置してある」と男性作業員。震災前、原発作業員の間で名所として知られていた桜の並木通りは、誰に見られることもなく葉桜に変わっていたという。
◇
「今日は0・9だったよ」「マジで? 俺は0・7」。「Jヴィレッジ」周辺の旅館では、毎日午後7時ごろになると作業員が続々と夕飯を食べに来る。
冒頭の会話はそれぞれの一日の被曝線量。ただ、単位は警戒区域外で一般に使われているマイクロシーベルトではなく、その千倍のミリシーベルト。限界量に近づいても、線量の低い現場を志願して仕事を続ける作業員も多い。
夜の作業員は冗舌だ。テレビのニュースで汚染水処理施設が映されると、「お、俺が造ったやつだ」と箸を進める。興に乗ればビール、ウイスキー、日本酒の出番。明日に備え、午後8~9時にはお開きだ。
昼も夜も周辺は静まりかえっている。同町の住民のうち戻ってきたのは1割未満。たまに顔を出す生き物といえば、「警戒区域から逃げ出して野生化した牛ぐらい」と地元出身の若手作業員は笑う。
明けて午前4時。星空に月が輝く中で旅館内の電灯がともり始める。5時ごろ、貸し切った旅館の食堂に集まり始める作業員は夜とは打って変わって無口だ。ハムエッグ、納豆、みそ汁をかっ込み、バナナを懐に入れる。会社から支給される弁当を手に、いざ原発に向かうバスへ。
「誰かが行かなきゃいけねえんだ」。そう笑いながら話す男性作業員(40)の目は真剣そのものだった。