ザ・特集:原発事故、悩む教師 不安広げず、偏見正したい 「放射線」どう教える
「放射線」をどう教えるべきか--東京電力福島第1原発事故で、学校が揺れている。福島県からの転校生に対する「放射能いじめ」も各地で報告されている。不安を広げたくはない。だが、偏見を放置するわけにもいかない。現場の教師たちの迷いが続く。【浦松丈二】
◇「いじめ」題材
<たろう君が転校してきて2週間たった。「おい、ひろし、たろうと一緒にいると放射能がうつるぞ」「たろう、福島に帰れよ」「放射能ちゃん」 ぼく(ひろし)はドキッとして立ち止まった。次の日、たろう君は学校を休んだ。その次の日も、たろう君は学校に来なかった>
千葉市立平山小学校(松本博治校長、269人)の3年1組。担任の石井信子教諭が教材を朗読する。児童21人がじっと耳を傾けた。福島県からの転校生「たろう君」と友達「ひろし君」を巡る架空の物語だ。
環境分野の専門家や教職員ら約1700人でつくる日本環境教育学会が作成した小学校高学年向けの授業案「原発事故のはなし」を、石井教諭が3年生向けに手直しした道徳の授業だ。小学校の授業で「放射能いじめ」を本格的に扱った全国でも恐らく初めての試み。学校中の先生たちが次々と教室を訪れる。授業前のアンケートでは、「放射能を知ってる?」という質問にクラスの22人中7人が「知らない」と答えた。
「ひろし君は、どうして『ドキッ』として立ち止まったのかな?」。この問いに、何人もが「ハーイ」と挙手。
「(いじめを)やめてよって言おうとしたけど、言えなかったから」。女の子が口火を切る。「放射能ってうつるの?」と別の女の子が疑問を口にする。「そうだよね」と石井教諭。そこへ「もう放射能をうつされちゃった、と思ったんだよ」と男の子が口を挟む。「うーん」。石井教諭が難しい顔になった。
◇学会が授業案
「授業案作成のきっかけは、計画的避難区域に指定されている福島県飯舘村から届いた一通のメールでした。村外に避難した子どもたちが『飯舘村の子どもとは遊ぶな』『危険だから(被ばく)検査をしてほしい』などといじめられている、というのです」
日本環境教育学会で企画委員長を務める朝岡幸彦・東京農工大学大学院農学研究院教授が話す。いじめの実情を知らせた同村職員は「受け入れ先の学校の教諭、児童・生徒、保護者を対象に『正しい放射線の知識』を学ぶ場を作ってほしい」と訴えた。「私自身も含め環境教育関連の学会では、原発問題をほとんど議論してこなかった。『原子力ムラ』と呼ばれる非常に強い利益集団があり、取り上げると激しい争点になることが予想されたからです。今回の事故後、沈黙してきた責任を感じていました」
学会は「避難している子どもが傷つけられることのないように」との阿部治・同学会会長の緊急声明を発表するとともに、教材作りを開始。石井教諭も現場で教える立場から参加した。
「私自身、恐怖心を与えてはいけないと授業で放射能にふれてこなかった」。石井教諭は揺れる胸の内を明かしながらも、「クラス児童の4割が原発事故すら知らなかった。正しいことを知らなければ偏見が生まれてしまう」と授業の必要性を強調する。
小学校高学年、中学生、高校生の道徳や学活を想定した授業案は7月に完成。同学会のサイトからダウンロードできるようにした。
福島県教育委員会によると震災後、県内外に避難した小中高校、特別支援学校の児童・生徒は1万5946人(8月1日現在)。文部科学省児童生徒課の担当者によると、福島県からの転入学生を対象にした「放射能いじめ」の件数は調査していないという。
◇理科教科書は
では、これまで学校現場で「放射線」はどう扱われてきたのか。20年近く中学理科教科書の編さんに参画してきた左巻健男・法政大学生命科学部教授は「ゆとり教育路線の影響で、小中学校理科では放射線を教えていませんでしたが、08年改定の新学習指導要領に『放射線の利用』が盛り込まれ、来年度の中学理科3年の教科書で30年ぶりに復活します」と説明する。
来年度版の中学理科3年の教科書5冊を読み比べたところ、すべてが医療など放射線の利用方法に1項目を設けて解説する一方、健康への影響については「人体や作物の内部に入ると悪影響を与える場合がある」(東京書籍)などと数行ふれているだけだ。
石井教諭の教材では「たくさんの放射能が体の中に入ると、体をだめにしてしまうのよ」「雨の中にまじっていたり、土の上にふりそそいだりしてそれをさわったり、食べ物を通して体の中に入り込むことがあるんだよ」などのセリフがある。「原発事故のはなし」の「指導上の留意点」には「基準以下の被ばく線量の安全性と非感染性について教える」とある。中高校生向けでは、内部被ばくの危険性にも触れている。
左巻教授は言う。「国を含めて原子力(推進)側は教育を通して国民のアレルギーをなくそうと努めてきた。学習指導要領にある『放射線の利用』とはメリットのこと。健康被害などのデメリットも同程度併記して、リスク判断の材料を提供すべきです」
事故後、文科省は一部出版社から放射線に関する記述の訂正申請を受け、検討作業に入ったほか、小中高向け副読本を近く公表する予定だ。
◇正しい知識を
再び3年1組の教室。教材は、帰宅したひろし君と両親の会話へと続く。
<「ねえ、お父さん、放射能ってこわいの? うつるの?」「たしかに放射能はこわいよ。でもね、放射能はけっして人から人にうつるものではないよ」(略)「福島の原発でつくられた電気は、関東の人のため、つまり私たちのために使われていたんだ」「えっ、本当?」「自分たちが使っていない、その原発事故で苦しんでいるんだよ」>
石井教諭は、父親の話を聞いたひろし君が、ベッドに入ってもなかなか眠れなかったことを話し、「ひろし君は、どうして眠れなかったのかな?」と問うた。髪を後ろで束ねた女の子は「たろう君がいじめられている時の気持ちを考えていたから。たろう君は悪くないのに」と同情的だ。別の男の子は「放射能はうつらない。たろう君に謝りたいと考えたから」と言う。
授業の最後。石井教諭は、友達を助けたり助けられたりした経験を子どもたちに尋ね、ピンクのハートマークを黒板に張っていった。そのマークを被災地の写真の上へと移しながら、こう締めくくった。「皆のハートが心の中で大きく育てば、本当に苦しんでいる人を助けてあげられる。まずは自分の友達から。それが、だんだんこっち(被災地)になったらいいな」
子どもたちに「正しい知識」を伝えたい。原発をつくった大人の責任として。