東電“延命”のコストとリスク
2011年10月13日(木)
「東京電力に関する経営・財務調査委員会」(第三者調査委、下河辺和彦委員長)が野田佳彦首相に報告書を提出して1週間あまり。焦点は10月中に東電と原子力損害賠償支援機構がまとめる「特別事業計画」に移った。だが、報告書の内容が暗示するように、向かうべき道筋は東電の“延命”や原発再稼働へとレールが敷かれている感がある。頭(こうべ)を垂れて霞ヶ関の軍門に下った感のある民主党政権。その無力感が育む官僚主導政治がポスト・フクシマの日本国民や企業に新たなコストとリスクを抱え込ませつつある。
玉虫色の報告書
「枝野(幸男)大臣も弁護士出身で法律家だが、政治家としての発言もあるかもしれない。当該事業会社が債務超過になっていないのに、国民がそれを望んでいるからといって(債権を)カットして当たり前だろうというのは、法律家の常識として通るところではない」
10月3日、報告書を提出した後の記者会見で下河辺委員長は、争点の1つだった金融機関への債権放棄要請についてこう述べ、対東電“急進派”と目される枝野経産相を牽制した。この下河辺発言が、第三者調査委の方向性、ひいては「東電問題」に対する政府のスタンスを象徴している。第三者調査委の報告書は時間軸を様々に前後させることによって、東電の経営・財務状況を都合よく玉虫色に変化させている。
報告書によると、まず、2011年3月期末時点で東電は1兆2922億円の純資産があり、「債務超過ではなく資産超過の状態にある」としている。この「債務超過にあらず」という断定が上記の下河辺発言の根拠になっているのだが、東電の四半期決算ベースでみると、10年12月末から11年3月末までの3カ月間で、同社の純資産は1兆3797億円減少しており、続く11年3月末から11年6月末までの3カ月間では5515億円減っている。
言うまでもなく、3月11日に起きた東日本大震災と福島第1原子力発電所事故に伴う損失計上が主因だが、今後本格化する賠償費用について東電は11年4~6月期に3977億円を見積額として計上したのみ。調査委報告書では賠償開始から2年間だけで原発事故被害者への賠償費用は総額4兆5402億円に達すると見積もっている。純資産の3・5倍の賠償負担が今後降り掛かるわけで、9月12日に発足した原子力損害賠償支援機構からの資本注入がなければ、債務超過が不可避なのは小学生でも理解できる。だからこそ、支援機構が設立されたわけだ。
要するに、5月13日に当時の菅直人政権が「東電福島原発事故に係る原子力損害の賠償に関する政府支援の枠組み」を関係閣僚会合で決定した時点で、「東電を債務超過にしない」→「東電向け債権の放棄を金融機関に要請しない」というレールがすでに敷かれたと見るべきなのだ。
下河辺委員長は3日の記者会見でこうも言っている。「東電が形の上で債務超過になっていないと認識せざるを得なかった現状において(報告書に)『債権放棄を求めるべきだ』とは到底書ける話ではない」。債務超過になっていない時点を選んで、それを前提にしているのだから当たり前である。
一方、原発再稼働や料金値上げが絡んでくると、報告書には債務超過が持ち出される。第三者調査委が今後10年間の東電の事業計画シミュレーションを行い、柏崎刈羽原発が(1)全く稼働しない(2)稼働する(3)1年後に稼働する――という3つのケースを想定、それぞれについて料金値上げ率を0%、5%、10%で試算した。その中で原発が再稼働せず値上げもしないと、8兆6427億円の資金不足が生じ、1兆9853億円の債務超過に陥るとの数字を弾き出している。そして、この場合に支援機構による東電への資本注入が示唆されている。
要するに、国民(正確には原発立地周辺地域の住民や東電ユーザー)が原発再稼働や料金値上げに「ノー」を突きつけても、支援機構から東電に公的資金が入る仕組みなのだ。8月に国会で成立した原発賠償支援法では、資本注入を受けた東電は徹底したリストラを求められ、長期間にわたって「特別負担金」を払って国からの支援金を返済するとされている。だが、破綻に瀕した企業がリストラを徹底するのは当然であり、しかもそれでもキャッシュが稼げない場合、東電は料金値上げで返済原資を確保することになる。資本注入にせよ、値上げにせよ、カネの出し手はどちらも国民なのである。
国民負担で東電年金を支える
なぜ、そうまでして東電を擁護するのか。政府関係者などからは、東電を破綻処理すると「電力供給に支障が生じる」「日本の社債市場が混乱する」といった反対論が聞こえてくる。しかし、こうした主張にはまったく合理性が感じられない。
まず、東電が会社更生法などに基づく法的処理をした場合、発送電がストップするのかというと、そんなことはない。裁判所が選任する管財人の下で、業務を継続できる。昨年1月に会社更生法の適用を申請した日本航空のように、資材調達などで政府保証を駆使すれば、日常業務は粛々と進むはずだ。一部には、会社更生法は期間が限定され、被害確定まで時間がかかる今回の東電の原発事故には使いづらいとの指摘があるが、既存法の適用が難しければ、改正するか、もしくは新たに「東電処理再生法」といった新法をつくればよい。この国難に際して既存法に難点があって使えないというのは説得力に乏しい。そこで議論が停滞するならば、何のために立法機関が存在するのか。手段がないから目的が達成できないというのは怠慢以外の何物でもない。
社債市場については、すでに3月の大震災以降、電力債の起債は止まっている。確かに、「混乱している」といえるかもしれないが、それで産業界や日本経済に著しく悪影響を及ぼしているかというと、まったくそんなことはない。電力各社は12年3月期の事業運営に必要な資金の大半を銀行借り入れなどで手当済み。社債市場の混乱で資金ショートする企業が出ているわけでもない。
これとは別に、東電債が通常債権より返済を優先させる「一般担保付き債権」であり、東電を法的処理すると、「社債保有者への弁済が先になり、原発事故の被災者に賠償金を支払えなくなる」という反論もあった。なんのことはない、国が賠償責任を引き受ければ解決する話だ。実際、菅・前首相が「(原発事故の損害賠償は)最後の最後まで国が面倒を見る」(4月29日、衆院予算委での答弁)と明言している。東電を法的処理すると「大変なことになる」という一連の反対論は、企業経営の実態に疎い民主党政権に対する脅しに使われているような気がしてならない。
社債市場や株式市場ではむしろ、事実上破綻している東電を生かしていることによる弊害の方が深刻な問題になりつつある。東電に対する「政府支援の仕組み」が明らかになった5月頃から、米ウォール・ストリート・ジャーナルなど海外メディアでは「支援機構は社会主義的政策」といった批判記事が掲載されている。自立能力を失い淘汰されるべき企業が政府の支援によって市場にとどまり、政治家の言動などで信用力が乱高下するような事態こそ、海外投資家にとっては不透明この上ないことは容易に想像できる。
東電がつぶれているのかつぶれていないのか、わからない状況は解決を長引かせるだけでなく、事態を一段と悪化させる可能性も高い。例えば、第三者調査委の報告書でも言及された東電の企業年金削減問題。給付利率を2.0%から1.5%に下げ、終身年金を30%削減する対象をOBにも広げ、さらに現役社員のみ一時金を10%削減すると、10年間で最大2190億円の削減効果があるとされているのだが、厚生労働省によると、資産超過など破綻が認定されない状況では、OBの年金を減らした事例はないという(10月8日付読売新聞朝刊)。東電が支援機構から資本注入を受け資産超過が続く限り、年金に手を付けられないとなると、国民負担で東電の年金制度を支えるというおかしな構図が出来上がってしまう。
東電トップを続投させるお人好し政府
曖昧な破綻認定が生むもうひとつの問題は経営責任。6月の株主総会を機に清水正孝社長や武藤栄副社長原子力・立地本部長(肩書きは前職)が退任したが、勝俣恒久会長をはじめ原発事故発生当時の役員の多くが留任している。重大事故を引き起こして会社に兆円単位の賠償負担をもたらしたばかりでなく、10万人規模の福島の周辺住民に避難生活を強いている現状だけを考えても、なぜ彼らが更迭されないのか、不思議でならない。
2カ月が経過して公表されたメルトダウン(炉心溶融)のように、事故発生後も変わらない小出しの情報提供。最近では、福島第1原発の事故時の運転操作手順書を衆院の科学技術・イノベーション推進特別委員会が東電に提出させたところ、大部分が黒塗りされていたという噴飯ものの対応があった。
第三者調査委の報告書でも、東電が今年5月に発表した今期(2012年3月期)のコスト削減額5034億円には来期以降に繰り延べする費用が含まれていたり、まだ実施していない今期の予算と比較していたり、実際の削減額1867億円より2.7倍も水増ししていたとの指摘があった。また、5月に政府の支援が決まった際、東電は「金融機関から得られる協力の状況について政府に報告する」と約束していたにもかかわらず、6月に取引金融機関に対して「金利減免や債権放棄を要請しない」との文書をひそかに送っていたことも明らかにされた。
こうした企業体質は経営陣を一掃し、社内の力学を根本的に転換しない限り、変わらない。国の安全を揺るがすほどの大事故を引き起こし、信頼を裏切った役員たちに、性懲りもなく事故の収束や会社再生を託すほどお人好しの政府は、この国以外では他に見当たらないだろう。
法的処理を勧める理由はもうひとつある。日本は原発事故発生によって外国から損害賠償請求された場合の国際条約に加盟していない。条約があれば、賠償限度額の設定や裁判管轄権を自国に限定することで法外な賠償金支払いなどを防げる。福島第1原発からは放射性物質が拡散しており、海洋汚染や漁業被害で外国から訴訟を起こされる可能性は否定できない。万一、外国の裁判所で東電が巨額の賠償金支払いを命じられた場合、支援機構によって東電が延命していれば、その負担まで国民が負わされることになりかねない。
株式会社の最大の利点は有限責任。株主は出資額を超えて責任を問われることはない。だが、東電に公的資金が注入されれば、放射性物質の拡散や節電で多大な迷惑を被っている国民自身が無理矢理さらなる負担を強いられる。東電を延命させるコストとリスクは、時間とともに膨らんでいく一方なのだ。すべての東電幹部や社員に非があると言っているわけではない。摘出すべきは、東京電力という企業が育んできた風土、体質である。負の連鎖を一度断ち切らない限り、この国は原発事故にまつわる様々な問題から前に進めないように見える。