身近な汚染 市民の監視力を示した
2011年10月15日
東京都世田谷区の住宅街で高い放射線量が測定された問題は、東電福島第一原発事故とは無関係と分かった。ただし汚染は事実だ。市民の監視力の成果だが、さらに除染などの実行力につなげたい。
住宅地の汚染は、市民グループ「世田谷こども守る会」の通報で分かった。五月から、通学路など地域の放射線量を独自に調査していた。子どもたちの安全を考え、自ら行動した成果だ。
中川正春文部科学相は十四日、線量測定で市民団体と連携する制度をつくる考えを明らかにした。市民の監視力をあらためて示したのではないか。
結局、住宅の床下の放射性物質が汚染源だったが、これを空騒ぎと考えるのは早計だ。
原発事故による高線量は各地で測定されている。汚染箇所はどこにあるか分からない。
身近な汚染は、食品からの内部被ばくもある。食品の暫定規制値については、チェルノブイリ原発事故後の住民支援に取り組むベラルーシの研究者が甘すぎると批判している。
募る不安に市民は自ら調査しているのだ。千葉県船橋市では、市民グループが公園から高線量を検出した。横浜でも市民が道路脇の汚染を市に通報している。
世田谷区も学校などを対象に調査していた。保坂展人区長は区長選で脱原発を訴えるなどこの問題に関心は高いが、市民から通報があるまで気付かなかった。本来は行政の責任だ。監視態勢を再点検してほしい。
地域を汚染から守るには、市民の活動を監視からさらに広げることも大切だ。放射性物質による汚染は、雨どいの下などたまりやすい箇所があることや、取り除けるという対策が分かってきた。
今後は、かつて公衆衛生の観点から町内会で行ったドブ掃除のように、地域での除染活動にも取り組むことが必要になるだろう。
もうひとつ分かったことは報道への市民の受け止め方だ。原発に関する報道は、不安を増長させることを懸念してメディアは過小評価しがちだとの批判がある。本紙は当初から重要な情報と判断して報道した。
しかし報道に接しても市民は慌てなかったのではないか。市民に必要な情報を積極的に報道していく。それには市民も冷静に対応してくれることが分かった。
市民の監視力が行政を動かし、報道がその活動を支える。相互協力で困難を乗り越えたい。
〔東京新聞〕
産経の御用記事とはひと味もふた味も違いますね。
「正しく怖がる」なんて寝言は言ってません。
放射能を怖がることを「悪」であるかのような記事は、害悪。
これから先、どう付き合って、どう対処すべきか。
その判断が個々に必要になるのであって、放射能にやせ我慢とか、努力・根性なんて不要です。
最後に必要なのは「本能」であり、怖がることは当たり前のことです。