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投稿情報: 13:22 カテゴリー: 19/02/27 ダイナランド | 個別ページ | コメント (0)
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駐車場の近くで見つけました。
夷川橋は何度か通っているので、こんなお店があったのかなぁと思っていたのですが、どうやら最近出来たようです。
最近の餃子は鶏肉を混ぜている所も多いので、最近は外食ではすっかり食べなくなってしまいました。
ここのお店は京都ポークを使っているということなので勝ってみました。
店内で食べるのなら、一皿5個270円。
お持ち帰りは、焼きは10個540円、生は10個400円ですが、どちらも箱代50円が別途かかります。
ニンニク入りの生を10個買ってみました。
焼くときに使うラードとタレも入れられていて、とても気が利いています。
自宅で焼いてみましたが、ラードで焼くとかなり美味しくパリッと焼けますね。
ここは時々立ち寄ることになると思います。
投稿情報: 18:00 カテゴリー: 19/02/24 二条城・北野天満宮, 食い道楽日記 | 個別ページ | コメント (0)
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来たいなぁと思いながら延び延びになってしまっていました。
せっかく二条城まできたのですから、てくてく歩いて来ました。
神泉苑は、元々は平安京大内裏に接して造営された池です。
今の京都からだとイメージはし難いのですが、ザクッといってしまえば山陰本線の丹波口駅から二条城駅のすぐ左側に朱雀大路がありました。
いまの御所との位置も違います。
二条城の北西4分の1くらいが御所の一部だったことになります。
神泉苑の池の中には竜神(善女竜王)が住んでいると信じられ、空海が祈雨の法を行ったことでも有名です。
また都で疫病が流行ったときには、神泉苑の南端に66本の鉾を立て、祇園社から神輿を出し、祇園祭の原型となるようなことが行われていたようです。
もっと大きかったようですが、徳川家康が二条城を造営した際に土地の多くが取り込まれてしまい、現在のようになったとのこと。
その時代の神泉苑を見てみたかったです。
1枚目の写真が竜神様(善女竜王)のお社。
2枚目が、その年の恵方に向けられるという日本で唯一の恵方社になります。
ここも、去年の台風のときに破壊されてしまい、現在のお社は仮のお社ということです。
3枚目は辨天社。
4枚目は法成橋で、善女竜王社正面の鳥居から入ったら、左に曲がってこの橋を渡って善女竜王社を参拝するそうです。
前はそんなルートが決められていたのか記憶にありません。
最初に恵方社に飛びついてしまい、なんかグチャグチャな参拝になってしまいました。
投稿情報: 17:35 カテゴリー: 19/02/24 二条城・北野天満宮 | 個別ページ | コメント (0)
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二条城3つめの庭園は、この清流園になります。
完成は1965年(昭和40年)。
この場所の使われ方は二転三転していて、過去には天守閣の一部を担っていたこともあったそうですが焼失。
同心の小屋などがあった時期もあったそうですが、こちらも焼失。
大正天皇即位式饗宴の儀の会場として利用されて饗宴施設が作られたこともあるそうですが、第2次世界大戦後は進駐軍のテニスコートにされていたこともあったそうです。
江戸初期の豪商であった角倉了以の建物や石庭を移築して、現在の形になっているそうです。
池泉回遊式の和風庭園と、芝生を主体とした洋風庭園に分かれていて、海外からの評価は高いようです。
基本的には非公開ですが、今でもときどき利用されることがあるそうです。
投稿情報: 17:12 カテゴリー: 19/02/24 二条城・北野天満宮 | 個別ページ | コメント (0)
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二の丸庭園は、本当は時間があったらゆっくり見たかった所です。
作った方は小堀遠州。
このブログでもたびたび名前の出てきている安土桃山期から江戸時代初期の大名であり、文化人です。
二の丸御殿が「雁行造」という、斜めに建物が配置されているということもあり、三正面式という見る方向が3つある作りになっています。
第1正面は、今はありませんが寛永の行幸の際の行幸御殿。
第2正面は大広間、第3正面は黒書院となっています。
そもそも庭園は建物の中から見るように作られているので、この立ち位置からではなく、やはり二の丸御殿から見るのが正解なのでしょう。
池には、蓬莱島、亀島、鶴島の3つの島があり、見る位置によって趣向が凝らされているとのことなので、また機会があったらゆっくり見てみたいものだと思います。
投稿情報: 17:00 カテゴリー: 19/02/24 二条城・北野天満宮 | 個別ページ | コメント (0)
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二の丸御殿は写真を撮ることができるのはここまで。
この建物は車寄(くるまよせ)といいます。
観光客は、ここから靴を脱いで上がりますが、かなり身体の大きい警備員さんが日本語と英語で注意事項を話しています。
お年寄りですが、発音がきれいだと妻が言っていました。
入ってすぐが遠侍(とおざむらい)。
襖絵に虎と豹が描かれているのですが、当時の絵師は豹をメスの虎と認識していたそうです。
二条城を訪れた人は、ここでいったん待機と成るそうですが、この襖絵によって威閣をする目的があったそうです。
当時の質素な生活を行っていた人たちにしてみれば、当時一流の絵師によって描かれた虎と豹に囲まれるのは、それだけで威圧感があったでしょう。
廊下は昔と変わらずの鶯ばりの廊下。
しかし、建物の保護のためか、剥き出しではなくカーペットが敷かれています。
前に入ったときと違い、障子の開かれているところも別に透明な板(ガラス?プラスチック?)越に見る見ることになっています。
また、廊下の角の柱なども人がぶつかっても痛まないように、プラスチックのカバーがつけられています。
また、監視カメラの量も半端ない。
文化財保護のためとはいえ、ずいぶんと面倒くさいことになっています。
改修というのは、こういうものも込みで行われたということなのでしょう。
蘇鉄之間や牡丹之間などは、廊下なのに人が暮らせる大きさ。
少し残念なのが、この広々とした空間も透明な板。
何を大切にするのかという視点の問題なのだと思いますが、確かに文化財は大切にされますが、そこの空間を感じるということは損なわれているように思います。
修復は天井の絵にも行われていました。
ただ、意図的なものなのか、予算的なものなのかは分かりませんが、後半は天井は昔のまま。
どれだけきれいに修復されたのかもよく分かりました。
2枚目の写真ですが、分かりにくいですが鼻隠しの所の飾りが去年の夏の台風で破損してしまったそうです。
その飾りの下から、葵紋の跡が出てきたそうで、おそらく明治に離宮になってから改修されたのでしょう。
本当は、廊下から庭園が見えたら良かったのですが、ガッチリと閉じられていて残念でした。
投稿情報: 16:58 カテゴリー: 19/02/24 二条城・北野天満宮 | 個別ページ | コメント (0)
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