京都御所を北東の猿が辻から歩いて行きます。
さすが御所は丑寅の鬼門を欠いています。
猿が辻の由来の猿は、この左側の屋根の庇の中に、烏帽子を被り、御幣を担いだ猿の彫刻があるからのようです。
御所の北東には日吉大社がありますが、そこから遣わされた使徒との言い伝えもあります。
もっとも、夜な夜な遊びに出てしまうために金網に封じ込まれたとも。
なんとなく、上を見上げてみると、瓦はすべて菊紋。
歩いている通りはやたら広いので歩測で測ってみるとだいたい15m前後。
そう考えると朱雀大路(約80m)がいかに広かったのかと、改めて驚きます。
ちなみに、平城京の朱雀大路はどこに行ってしまったのかというと、いまの千本通がその名残です。
庶民が朱雀大路にどんどんと家を建ててしまったので、かろうじて残ったのが千本通なのだそうです。
逆行で見づらくなってしまいましたが、唐破風造の門が建春門、4枚目の妻切屋根の門が建礼門です。
どちらも檜皮葺きの立派な作りです。