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ここ垂井町には不破関が置かれていたので、ここに国府がありました。いまはすっかりと田舎町ですが、元々はここが美濃国の中心だったということです。もっとも10世紀中旬には国府としては力を失っていたようですが、それでも13世紀中旬までは一般人とは違う大きな勢力があったと考えられています。(垂井町教育委員会より) 奈良の平城京方式で、東脇殿の場所に花が植えられています。当時の人たちは身体が小さかったとはいえ、けっこう狭いという印象。しかし、見晴らしの良いところに建てられていたことが分かります。
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