東日本大震災:岩手・陸前高田の松、成田山へ 来月25日に犠牲者供養、復興祈願
東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の「高田松原」の松が、犠牲者の供養と被災地の復興を祈願して千葉県成田市の成田山新勝寺で燃やされることになった。
新勝寺によると、放射性物質の拡散を懸念する指摘が相次ぎ、京都市の「五山送り火」での1回目の使用中止が決まった後、陸前高田市の団体を通じ、松を供養で燃やす予定の同市内の金剛寺に申し入れた。新勝寺の西村照衆・企画課長は「お困りのようだったので申し出た」と話す。
松は、9月25日に行う厄除(よ)けや祈願成就などの定例行事で、護摩木とともに燃やす。陸前高田市で表皮を削り4・5センチ四方、長さ約90センチの角材にし、安全確認されたものを使うとしており、新勝寺は問題ないとの見方を示している。五山送り火で燃やす計画については、1回目の中止判断後「風評被害を助長する」などの抗議が殺到した京都市が、いったん受け入れを表明したが、新たに取り寄せたまきの表皮から放射性セシウムが1キロあたり1130ベクレル検出され、再度中止となっている。【清藤天】
毎日新聞 2011年8月15日 東京夕刊
なにか間違えていないですか?
東日本大震災の犠牲者を弔いたいという気持ちは良く分かります。
今回の旅行中も、常に無くなった従姉や知り合いを念頭に入れていました。
しかし、それと陸前高田の松を燃やすことは別問題じゃないでしょうか。
何度も書きますが、
放射能が撒かれた世界で、日常生活を継続させる必要は無い
津波だけなら、日本各地で思う存分に燃やして供養してほしい。
でも、放射能が付着している「可能性」のあるものを無理に燃やす必要はないでしょう。
だって、
政府の発表さえ信用できない
この状況で、燃やされる地元も不安だと思います。
陸前高田の人たちの気持ちを癒すために、薪が運び込まれた地域の人たちを不安にする必要は無いんじゃないでしょうか?
この論争には、なにかおかしなことを感じます。