ラジウム騒動 正しく怖がる姿勢ほしい
2011.10.15 02:50
東京都世田谷区の住宅街の区道で周辺より高い放射線量が検出された問題の原因が分かった。
放射線の源は、近くの無人の民家の床下に置かれていた瓶だった。中身は夜光塗料などにも使われたラジウムで、誰によっていつから置かれていたのかなどの詳細は分かっていない。
当初、強く疑われた福島第1原子力発電所の事故との関係がないことだけは明らかだ。今回の原発事故では、遠く離れた場所にまで放射性物質が風で運ばれた前例がある。
しかも、この道が小学生の通学路だったことなどから大騒ぎになったのだが、それにしても過剰対応ではなかったか。世田谷区は、通行するだけでは人体に影響のない線量としながら、周辺を立ち入り禁止にしてしまった。
住民の安心のための措置だろうが、かえって不安感を煽(あお)りかねない対応だった。健康に問題のない線量なら子供たちにもその事実を教え、いつも通りに通学させることが、原子力の利用教育につながる一歩であったはずである。
今回の世田谷騒動は、福島県内などで今後も永続する放射能汚染の問題に、貴重な教訓を残すことになった。事故でばらまかれた放射性物質による汚染の推移などを調べるモニタリングは重要だ。
その一方で、検出された放射線や放射性物質に対して、正しく怖がる姿勢が欠かせない。
楽観し過ぎるのは問題だが、必要以上に恐れれば、そのこと自体が心身へのストレスを招く。被災地の健全な復興を妨げ、風評被害のもとにもなりかねない。
これまでにも東北地方の薪や花火の使用が敬遠されるという残念な事態が起きている。今回の騒動も、その原因の一部は不安要素を過剰に忌避する精神風土に根差しているのではないか。
微量の放射線が人体に与える影響は不明確だ。以前から有益、有害の両説が併存している。国がしっかり考究すべき時期であろう。国際原子力機関(IAEA)や世界保健機関(WHO)などと連携するのが望ましい。
風評被害にもつながる混乱の大部分は、微量の放射線によるものだ。化学物質には生体への影響を無視できる下限の量の閾値(いきち)が存在する。放射線に限ってこの閾値がないのだろうか。その点をはっきりさせることが必要だ。
〔産経ニュース〕
なんてエラソーな記事なんだろう。
だいたい、これは結果論だろう。
挙句の果てに、
>不安要素を過剰に忌避する精神風土
>正しく怖がる姿勢
などといっているけれども、御用学者と呼ばれている人が、テレビでは安全安全と言っておきながら、研究所にもどったとたんに、換気扇を止めさせて、目張りをしたのは有名な話。
>国際原子力機関(IAEA)や世界保健機関(WHO)などと連携
などと言っているけれども、チェルノブイリの報告に異論が噴出しているのは何度も書いているとおり。
閾値についても言及しているけれども、その閾値でさえ学者間で統一した見解が出ていないのが事実なのです。
正しく怖がる姿勢というのは、理論的に分かっているものに対してできることであり、現状で放射線に対して正しく怖がるだけの材料がない。
しいて正しく怖がれというのなら、
逃げる!
避ける!
しかないだろう。
あとは、5年後、10年後に、逃げて避けた行動をとったもの達が、馬鹿扱いされるか、羨ましがられるかのどちらかでしかない。
とりあえず、この産経のニュースは忘れないよ。