住民の放射線量調査は迷惑行為なのか?
放射線ホットスポットを見つけてほしくない政府と自治体
2011.10.25(火)
「民は愚かに保て」。それが、福島第一原子力発電所事故における国や地方自治体の姿勢のようだ。そこに一部のマスコミまでが引きずられている感じがある。
10月12日、東京都世田谷区内の住宅地で毎時3.35マイクロシーベルトという高い放射線量の地点が見つかり、世田谷区役所は立ち入り禁止の処置を取った。すぐに民家の床下から見つかった放射性ラジウムが原因と分かり、原発事故とは無関係ということが証明された。
続く10月17日には、足立区内の小学校で毎時3.99マイクロシーベルトの放射線量を示す地点が見つかったが、こちらは明らかに原発事故が原因とされた。建物の雨どいの下で、建物の放射性物質を含んだ雨水が集まったために放射線量が高くなったと考えられている。
そうであれば、足立区の小学校のような例は、まだまだあるはずである。しかし、他の事例が発見されたという話は聞こえてこないし、足立区の例では大騒ぎしたマスコミも、他での可能性については騒ぎ立てない。騒ぎが大きくならないように自粛しているのかもしれないが、普段のマスコミらしからぬ反応である。
ホットスポットの発見者は風評の発信源なのか
もう1つ、今回の東京都内で高い放射線の地点が見つかった問題で、行政もマスコミも「目立たせたくないのか?」と思いたくなる点がある。
それは、「誰が見つけたのか」ということである。ヒーロー好きのマスコミもこの点については実に淡泊な反応しかしていない。
世田谷区でも足立区でも、放射線量の高い地点を発見したのは行政ではない。発見したのは、いずれも住民である。原発事故での放射線被害に危機感を持った住民が、誰に言われたからでなく、自らの意思で、自らの負担で機器を購入し、調査した結果だったのだ。
そうした住民がいなければ、世田谷区でも足立区でも放射線量が高く危険な場所が放置されたままになっていたに違いない。
世田谷区の場合は原発事故由来のものではなかったが、原発事故がなくて自らの意思で行動する住民が現れていなければ、ずっと放置されたままになっていたかもしれない。それで健康被害があったとしても、原因は究明されないままになっていたことだろう。
自らの意思で行動し始めた人たちがいたからこそ、放射線被害の可能性を回避するきっかけになったことは事実である。そういう人たちは、大いに感謝されるべきはずだ。
しかし、そういう人たちへの讃辞は大きくならない。「住民からの通報で」と報じても、その部分をクローズアップする報道は少ない。「住民の独自測定が重要」といった論調は寡聞にして知らない。国や自治体からも、それを求めるコメントはまったくしない。
読売新聞(10月17日付)の「編集手帳」は、「国内では、放射性物質の影響に過剰反応して東北産品を排除するなど、様々な風評被害を起こしている」と述べている。原発事故で飛散した放射性物質の影響を懸念する人たちを批判している、としか読めない文章である。
地域の放射線量を独自に調査している人たちは、空気中の放射線量だけでなく、食べ物をはじめ、放射性物質からのあらゆる影響を懸念しているからだ。そういう人たちを読売の編集手帳は「風評被害を起こしている」と糾弾しているとしか思えない。
国や自治体が、不安を抱いている住民にイラついているのと同じものを感じる。
住民から江東区に提出された「緊急要望書」
原発事故での放射性物質による健康被害を懸念する人たちによって、東京都内でも地域ごとに「こども守る会」といった名称の住民組織が次々につくられている。その名称からも分かるように、小さな子どもを持つ親たちが中心になって、特に放射性物質の影響を受けやすいと言われる幼いわが子を自分たちの力で守ろうというのが会の趣旨だ。
「江東区でも放射線量の高い地点、いわゆるホットスポットがあるという5月15日付『朝日新聞』の記事を読んで、区役所に問い合わせたんですが、『問題ありません。気にしすぎですよ』と言われたんです」と言うのは、「NO!放射能 江東こども守る会」の代表を務める石川あや子さん。運動家でも政治家でもない、幼い子どもを持つ、ごく普通の母親である。
区役所の反応に納得できない石川さんは、「それなら独自調査をやるしかない」と腹をくくる。同時に、放射性物質被害への懸念をツイッターでつぶやいたところ、同じ思いの母親たちから反応があった。そこで放射線計測の専門家を招いての独自測定の準備を進め、会も発足させた。
石川さんたちの独自調査の結果、江東区内でもマンションの排水溝側で毎時0.28マイクロシーベルトが測定されるなど高い放射線量を示す地点があることが分かった。石川さんたちが懸念していたことは現実のものだったのだ。
そこで6月7日、「こども守る会」として記者会見を開き、東京都知事と江東区長に対して放射線量測定と土壌調査および放射能汚染対策を求める「緊急要望書」を提出することを発表した。
そして、江東区は6月18日に区内5ブロックの中心にある小学校校庭などでの土壌放射能の測定、同24日には区内の保育園、幼稚園、小・中学校、公園で空間放射線量の測定を独自に実施している。
独自に実施した理由を江東区の環境保全課長は、「いろんな人がいろんなツールで放射線量を測定し、その数字が独り歩きしている感じなので、行政としてキチンと数字を示すためです」と説明した。住民による測定を評価するのではなく、まるで逆だ。住民が勝手に測定して騒ぐのは迷惑、と言わんばかりなのだ。
もちろん江東区でも、「江東こども守る会」の石川さんたちが、区が動くまでには様々なかたちで働きかけを行っている。それに対して区は、必ずしも好意的な姿勢で接してきたわけではない。だから石川さんたちは、独自で調査もやったのだ。
「普通の砂」として処理されているホットスポットの砂
ともかく、江東区は独自で放射線量の測定を行った。その結果、3つの保育園の砂場から毎時0.3~0.32マイクロシーベルトという高い放射線量が測定された。ホットスポットが見つかったのだ。
その砂場について江東区は、砂の入れ替えを行っている。その砂は「業者に処分を委託した」(環境保全課)という。つまり、放射性物質を含む砂としてでなく、「普通の砂」として処理された可能性が高いのだ。
今回、毎時3.99マイクロシーベルトという高い放射線量の地点が小学校で見つかった足立区でも、区が独自の測定調査を行っている。その結果、小中学校や保育園などで、区が独自に安全基準としている毎時0.25マイクロシーベルトを超える施設が14カ所あり、35カ所の砂場から毎時0.699マイクロシーベルトなど高い放射線量の数値が検出された。そこで江東区は、除染を行い、8月10日からは砂場で砂の入れ替えを実施している。
砂の処理方法は、問題の砂場のある学校なら学校の敷地内に穴を掘り砂を埋めるという方法が取られている。業者に委託して、どこに持っていかれるか分からない処理よりは、一歩踏み込んだ処理方法ではある。
にもかかわらず、足立区では毎時3.99マイクロシーベルトという放射線量の地点が発見されたのだ。その理由は簡単だ。
足立区で独自の調査を行ったといっても、区内をくまなく測定したわけではないからだ。小学校にしてもプールや砂場など測定箇所は数カ所にすぎない。測定したところと測定していないところを比べれば、測定していないところの方が圧倒的に多い。
そうやって見落とされたところから、ホットスポットが見つかったというわけだ。同じようなホットスポットが存在しており、ただ測定していないので発見されないままになっている可能性は高い。
住民の不安を切り捨てる国と自治体
毎時3.99マイクロシーベルトのホットスポットが見つかる前の取材に対して、足立区は次のように答えた。
「800カ所で測定しましたが、それで幕引きと考えているわけではありません。しかし、それには財政的な問題があります。区として経費を支出する根拠がないんです。価値観はさまざまで、足立区民の中には測定箇所を増やすべきだという意見の人もいるでしょうが、やる必要はないという意見の人もいるわけです。だから、これ以上の測定や対策を税金でやる予定はありません」
これは、どこの区も口にした。「原発事故の原因者(国や東京電力)が経費を負担する保証がないかぎり区の予算ではできない」と言う区もあった。予算が割けないから動けない、というわけだ。
さらに、ある区の関係者は次のようにも説明した。「測定箇所を増やしてホットスポットが見つかると、処理費用もそうですが、処理方法で問題がある。汚染された砂や土を処理するにしても、どうやって処理していいか分からない。そんな出口のない対策は、どこもやりたがらないんですよ」
行政としては動きたくないのだ。だから、「もっとやるべきだ」という意見の住民が増えることを好まない雰囲気がある。「やる必要はない」という住民が多ければ、動かない理由になる。だから、住民が独自に測定や除染活動をすることも好ましく思っていないのだ。
それは、国とて同じである。放射能の影響を真剣に気にする人たちを「神経質すぎる」とか「風評被害を起こしている」と切り捨てておけば、国や地方自治体は「出口のない対策」に取り組まなくてもいいわけだ。
だから、「国が問題ないと言っているのだから、国民は素直に従うべきだ」という雰囲気づくりをしているとしか思えない。それに荷担しているマスコミも少なくないのだ。
しかし、国が「安全」と言っている根拠が曖昧で現実性に乏しいことは多くの国民が知り始めている。文科省が福島県内の学校施設使用の基準とした年間被曝限度量20ミリシーベルトは大批判を浴び、文科省はしぶしぶ「年間1ミリシーベルトを目指す」と訂正せざるをえなかった。
農作物の安全基準も、原発事故前と後とでは大幅に緩和しておきながら、その根拠ははっきりと示されていない。「国が安全と言っているのだから黙って食べればいい」と言っているに等しい。
そして、「福島の農産物を食べるのが支援」という雰囲気をつくろうとしている。それは、「放射能を気にして食べるのは問題だ」と言っているにも等しい。“神経質すぎる人は悪者”というイメージづくりにも思える。
国民はいつまでも「愚か」ではない
現在、文科省は福島県内の学校については「年間1ミリシーベルト以下を目指す」という安全基準を設けている(問題にされた年間20ミリシーベルトを取り下げたわけではない)。しかし、福島県以外には安全基準を設けていない。
検討しているのかどうか文科省に訊ねると、「福島県以外、例えば東京などは安全だから検討する予定はない」との答えが戻ってきた。それでも区は独自に測定し、放射線量が高いと判断したところについては対処もしている。
区の対応に満足できない住民は、独自で測定を行い、除染作業を行っているグループもある。そういう実態を無視して、国は「安全だ」と叫ぶばかりなのだ。
国をはじめとする行政にしてみれば、自らの頭で判断して行動するほど民が賢明であっては困るのだろう。行政の言うことだけを頭から信じる「愚かな民」だけを、行政は好むのかもしれない。
「民は愚かに保て」が行政の本音に違いない。しかし、愚かなままではいない国民、住民が増えているのも事実なのだ。そのことを、国も地方自治体もしっかり認識すべきところにきている。