本当の専門家に聞いてみた放射能の真実
「分からない」から不安と恐怖が増殖していく
『放射能の真実!』は、京都大学原子炉実験所の高橋千太郎副所長が、ニュースキャスターの辛坊治郎氏からの質問に答える形で、放射能の基礎知識と放射能汚染への対処法について解説した本である。
高橋氏の専門分野は動物生理学だ。本物のプルトニウムを使って動物実験を行い、放射線が人体にどれだけの影響を及ぼすのかを研究してきた。「原発事故で放出された放射性物質によって、私たちはどれほど危険にさらされているのか」という、いま誰もが知りたい疑問に最も的確に答えられる専門家の1人なのだ。
当然、テレビや新聞、週刊誌などが放っておかないはずだと思うのだが、不思議とマスコミには登場しない。いや、正確に言うと、登場しなくなった。
原発事故が発生した直後は、マスコミからの問い合わせや取材が多々あったという。だが、高橋氏の解説はマスコミの「期待」に沿うものではなかったようだ。
「テレビ局なんかはいきなり電話してきて、年間100ミリシーベルト以下の放射線は人体に影響があるんですか、ないんですか、どっちなんですかと聞いてくるんです。分からないとしか言えないんですよ、一言で説明するのは難しいんですよね、と答えていたら、いつの間にか取材されなくなりました」(高橋氏)
確かに「分からない」では視聴者や読者が納得しない。インパクトにも欠ける。マスコミが求める回答でないことはうなずける。しかし高橋氏は、低線量の放射線が人体にどのような影響を及ぼすのか厳密には分からない、それは事実なのだと言う。
世の中の情報をそのまま受け止めるのは弊害が大きい
── 放射能への不安と恐怖が蔓延しています。都内に住んでいる私の知り合いは、プールの底に放射性物質がたまっているといって、小学校のプール開き前の掃除に自分の子供を参加させませんでした。校庭の草刈りにも参加させないそうです。
高橋千太郎氏(以下、敬称略) おそらく、見えないものに対する恐怖が極めて大きいんだと思います。人間の心情として、見えないもの、コントロールできないものを非常に危険視する傾向があります。
また精神的にストレスが高い状態になると、極論に走りたがるものです。「危険かどうか分からない、だから危ない」と考えて、徹底的に遠ざけようとするんですね。
── 原発の是非は別にして、テレビや週刊誌、ネットなどの情報の中には放射能に対する不安を必要以上にあおっているものも見受けられます。
高橋 放射能と戦う「正義の味方」になると、もてはやされますからね。また、「心配いりません」と言うより「こんなに危険です」と言った方が話題になり、注目してもらえるという側面もあると思います。
しかし、一般の方がそれをそのまま受け止めていては弊害があります。もっと冷静に見つめて、この事態に対応していただきたいと思います。
僕から言わせれば、放射線は化学物質の中では最もリスクが分かっている物質です。おまけに計測もしやすい。今、私たちは、正体のよく分からない様々な化学物質に取り囲まれて生活しています。本当はそっちの方がずっと危ないと言っても過言ではありません。
── 先日は、横浜でストロンチウムが検出されたといってセンセーショナルに報道されていました。
高橋 1キログラムあたり195ベクレルという放射線量はまったく問題のない数値です。人体に影響を及ぼすレベルの何十万分の1の線量でしょう。でも、ほとんどの人はそういう知識がないので、「検出された」というだけで大騒ぎになってしまいます。
誰に聞いても「分からない」のが真実
── 『放射能の真実!』の中で、「年100ミリシーベルト以下の放射線が人体にどの程度の、どのような影響を及ぼすのかは分からない」と言っていますね。
高橋 よく分かりませんとしか言えないんです。僕だけではなく、誰に聞いてもそうとしか答えられないと思います。
── 世界中で研究が行われているのに、なぜ分からないのですか。
高橋 放射線の人体への影響については、国連の科学委員会(UNSCEAR)が過去から現在に至るまでの世界のあらゆる研究データを収集して、まとめています。広島、長崎、チェルノブイリのデータはもちろん、世界各地の病院でX線治療を行った時の発がん確率の調査や、自然放射線の線量が高い地域の疫学調査などもあります。とにかくあらゆる種類の実験・研究データが集められていて、その量は膨大なものです。
それに基づいて、国際放射線防護委員会(ICRP)が、それぞれのデータがどれくらいの意味を持ち、どれくらい重要かという議論を行っています。
UNSCEARに集められた研究結果の中には、低線量の放射線が人体にとって「いい」というデータもあれば、「悪い」というデータもあります。ICRPがそれらのデータをさんざん突き合わせて議論した結果、年間100ミリシーベルト以下の放射線の影響は分からないということになっているんです。
なぜ、すみやかに年間1ミリシーベルトに戻す必要があるのか
── では、放射線関連の仕事に就いていない一般の人の被曝限度が「年間1ミリシーベルト」という根拠は何ですか。
高橋 低線量の放射線の人体への影響はよく分かっていないので、じゃあ、一般の方の生活上のリスク、例えば家庭内での事故などと比べても、十分に低いリスクと推定されるこの辺で規制をかけましょうとICRPが決めたのが1ミリシーベルトです。
── 1ミリシーベルトという数値に科学的な根拠はない。
高橋 動物実験や人での調査(疫学研究)から1ミリシーベルトの被曝が明らかに人の健康に影響を与えることを示した科学的な証拠はありません。あくまで高い線量で見られた影響からの推定です。したがって、人体にとって安全なのは年間1ミリシーベルトか、10ミリシーベルトか、20ミリシーベルトかという議論には、現在のところ科学的な答えはないと言えます。
ただし、科学者の議論と社会の合意は別の話です。過去にさんざん議論を重ねた結果、ICRPは勧告を出し、その勧告は世界的なコンセンサスになっています。それに沿って、日本の法律も「平常時に一般人が浴びてよい限度は年間1ミリシーベルトまで」と定めているわけです。だから、世界的なコンセンサスを得ている基準にすみやかに戻すべきだ、としか言いようがないと思います。
── 「年間100ミリシーベルトの被曝で、発がん率が0.5%高くなる」というICRPの推定値が知られています。それ以下の線量では、有意な統計データがないのですよね。では、年間100ミリシーベルトまでは安全だということになりますか。
高橋 それは乱暴な見方でしょう。10年経ったら累積で1シーベルトの放射線を浴びてしまうことになります。その際の発がん率は5%です。100人いたら5人ががんになるわけですから、とても安全とは言えません。
── 前から疑問に思っていたのですが、人間は自然放射線を年間2.4ミリシーベルト浴びているそうですね。するとICRPの勧告は、合わせて年間3.4ミリシーベルトまでに抑えなさい、ということですか。
高橋 自然放射線については、制限をかけることが難しいので、線量限度という概念はありません。また、医療で受ける放射線についても、個人ごとに状況が異なるので線量限度はありません。ICRPは人工的な放射線(能)による被曝についてのみ、平常時は一般の方で1ミリシーベルトという線量限度を勧告しています。
── 自然放射線と人工放射線を一緒に考えるべきではない、人工放射線は、より体内に蓄積されるから自然放射線よりも危険だという説があります。これについてはどう考えればいいですか。
高橋 放射線の人体への影響は、シーベルトという単位で表されていれば、どのような種類の放射線であっても、それが人工と自然を問わず、同じように比較することができます。
食品の「暫定規制値」の意味は?
── この本の中で、「京都なんかは外部被曝も受けていないし、水も汚染されていないんだから、京都の人は暫定規制値の100倍くらいの放射能濃度でも食べて大丈夫」と言っていますね。それだけ暫定規制値が厳しく設定してあるということですか。
高橋 その通りです。「暫定規制値」に使われている数値は、本来は「放射能濃度がこれぐらいになったら、制限かけるかなんか考えんといかんよ」という値です。
数値は、98年に当時の原子力安全委員会の専門部会が決めたものです。暫定規制値ギリギリのものを1年間食べ続けると、10ミリシーベルトの放射線を浴びる計算になるように定められています。その数値を、厚生労働省が「それ以上のものは食べてはいけない」という規制値に暫定的に使ったということなんです。
もちろん、放射線被曝は避けた方がいいことは間違いがないので、今後は1年間食べ続けて平常時の一般の線量限度1ミリシーベルトを下回るような規制値に変えていく必要がありますが、短期的には現在の規制値は十分に安全なレベルと言えます。
──なぜ年間10ミリシーベルトなのですか。
高橋 基準値ギリギリのものだけを、毎日3食、食べ続けて1年間暮らす人はいないという判断なのかもしれませんが、正確には分かりません。確か、国際放射線防護委員会で原子力事故後の参考レベルとしてこの値を勧告していたように思います。
── テレビで、東北の農産物を子供に食べさせてはいけない、捨ててくださいと訴えた学者がいました。東北の農産物は食べても大丈夫ですか。
高橋 原発周辺に住まわれている方は、食品以外に外部被曝のリスクもあるし、ホコリの吸入による被曝のリスクもあります。暫定規制値は、そういう人たちを念頭に置いて定められた数値です。でも、それ以外の地域の方であれば、規制値をちょっと上回った食品を1カ月や2カ月食べ続けたって、健康にはなんの影響もありません。
「大本営発表」が通用すると思っていた政府
── 原発事故への対応を巡って政府の信用は大きく失墜しました。今回、政府の対応で最も問題だったと思うのは、どんな点ですか。
高橋 国民にどうやってリスクを伝えるのか、どうやって伝えれば信頼してもらえるのかが、よく練られていなかったのではないでしょうか。大本営発表で「年間100ミリシーベルトは安全です」と大学の先生に言わせれば、それが通用する時代だと思っていた。
現在は、インターネットであっという間に情報が飛び交う時代です。文科省の「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)というシステムを隠したって、知っている人はドイツの気象庁からデータを取ってきて「放射性物質があっちへ流れている」なんていう情報を流しているわけです。
そういう情報伝達のスピードを、政府の人は理解していなかったようです。ネットでは広く知られていることが、1週間も2週間も経ってから発表されてくる。それでは信用されなくなります。
── 正しい情報をタイミングよく伝えて、国民の不安を取り除く方法を知らなかったとういことですね。
高橋 どうしてそうなるかと言うと、取りまとめ役がいないんですね。原子力、放射能に関する個別の専門家はたくさんいるんですよ。でも、そうした専門家の意見をうまくまとめて、施策としてもっていくところができていない。
今の時代に、すべての分野に精通した専門家なんていないんですよ。社会心理学なども含めた様々な分野の専門家から意見を聞きつつ、国民が求める情報は何か、どうすれば安心してもらえるのかなどをまとめるワーキングチームがあれば良かったのに、と感じています。